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 俺も叶さんも忙しい中、メールでそれぞれ近況報告をしていた。しかしやはり社会人。叶さんからのメールが、半日から一日、二日と返信が遅れていく。

 倒れる寸前まで働いているのではないだろうかと心配しても、何もできない俺。

「差し入れすれば?」

 なぁんていう、まさやんからナイスなアイディアを戴き、おにぎりやおかずを作って、叶さん宅の扉に引っ掛けておいた。どこかに出張してたらもうアウトだけど、何もしないよりはいいだろう。

 俺も忙しいので毎回差し入れすることはできなかったが、時間ができたらまずはバランスのいい料理を作って、叶さん家に届けていた。

 だけどこんな状態が二週間以上続いてしまったら、もう大変。俺は叶さん切れを起こして倒れそうになっている。

 それまではずっとべったりじゃなかったけど、一緒に過ごした時間があったので、それを支えにして会えなくても誤魔化してやってきた。

 しかし現在、メールの返事も全くございません……。俺の想い同様、スルーだよ。

 俺のしつこさ(告白とかその他諸々)に、ウンザリしていた叶さん。もしかして飽きられた? こんなおバカな男には、これ以上付き合ってられないわよって。

 そんでもって自然消滅謀るべく、連絡をしない作戦でいるとか?

 日ごろポジティブな俺でも、叶さんが絡むとどうしてもネガティブになってしまう。豆腐の角に、頭をぶつけて死ねたらホント楽なのに……。バンドの面接会場にしているライブハウスに向かいながら、おバカ的な発想のもと、不可能なことばっかりを考えていた。

 通りを歩きながらふと横を見ると、叶さんの勤めている本社がそびえ立つ。

 ここに入ったら、叶さんがいるのかな。すっごく会いたい――できることならこっそり覗いて、同じ空気を思いっきり吸いたい←かなり重症

 もしくは叶さんが触ったであろう物に、触れるだけでもいい。偶然、出てきてくれないかな……。

 面接の時間が近付いてきてるのに、ぴたりとその場で足が止まってしまう。

 叶さん、会いたいよ。

「いい加減にして下さいっ」

 聞き覚えのあるこの声。俺を叱るときのものと違って落ち着いているけど、間違いなく叶さんだ! 会いたさが募ったせいで、幻聴かと思ったが間違いない。

 この喧噪の中、どこかにいる!?

 人混みをかき分けるように、大好きな彼女の姿を捜してみた。

「叶……」

 男の人の声も聞こえた、しかも下の名前を呼んでいる。

 頭が目紛しく混乱し、胸がドキドキした。拒絶するセリフの叶さんと名前を呼ぶ男性、一体どんな間柄なんだろう。

「会社前なんですよ、誰かに見られたらど……」

 声がする方に進むと、ちょうど倒れかけた叶さんの背中を発見した。

 あぶない!

「かなえさ――」

「叶っ!?」

 俺が駆け付けるより先に、傍にいる男性が叶さんを抱きとめる。まるで壊れ物を扱うように、大切に抱き締めている様子に、思わず息を飲んだ。

 男性は30代後半から40代くらい、叶さん好みのワイルドな感じの人だった。体格も俺とは違いガッチリしていて、叶さんを丸ごと包んで守ってくれそう。

 そんな絵になるふたりが今、俺の目の前にいる。

 きっとこの人なんだ。叶さんが好きだったという男性――

「君は?」

 その男性が訊ねてきて始めて自分がなにもできずに、傍で突っ立っていることにやっと気がついた。

 男性は俺の顔をじっと見る。その視線を受けながら、カラカラに乾きそうな口内でやっと答えた。

「あの……か、中林さんの大学の後輩です。彼女が倒れたのが見えたので」

「そうか、叶の大学の後輩。話には聞いてる、君だったのか」

 フッと笑って、俺を受け入れる感じが男性の眼差しにうつる。器の大きさが、目に表れていた。

 優しくて頼り甲斐のある感じ――叶さんが好きになる気持ちが、手に取るように分かった。

「俺は叶の上司の水戸です。済まないが、彼女を運ぶのを手伝ってくれないかい?」

 叶さんを抱き上げたその時、彼の左手薬指に指輪が光るのが見えた。それで全てが分かってしまった。

 だから、諦めなければいけない恋だったんだ……。

 水戸さんに頷くと、一緒に並んで会社に向かった。