「ウィリアム・ヴァレンタイン。これが彼の名前。そして、以前は料理人やらガラス職人やら、ベビーシッターやら、色々やっていたみたいだね。しかも、元々は貧民(スラム)街で生まれ、救貧院で育ち、子供のうちから工場に駆り出された。中々壮絶な人生で、本人からは想像も出来ないね」

どこか見下すような、けれども痛みを堪えたような、そんな複雑そうな声で彼は言う。

「君と僕とはまた違った、けれども同じく心に傷を負っている彼だから、君は彼を側に置いている。そうだろう?」

「……いいえ。ウィルは私や貴方よりもよっぽど強いですよ。何度も人に手を差しのべ、手を振り払われても、しつこく相手を救おうとする。この世の中では生きにくい筈の彼の生き方。けれどもそれを、私は尊敬できます」

アマネは揺るぎない意思を見せるように、拳銃を黒の貴公子へ向ける。

「後、人の過去を勝手に話さないでください。常識に欠けますよ?それから、お喋りはそれくらいにして宝石を返してください」

「このコはもう僕が手に入れたんだ。真の意味で僕の物ではなくても、手に持っている物を人に渡すのは嫌なものだろう?」

ニコリと笑みを浮かべると、アマネは引き金を引こうとする。が、その前に銃声が響いた。

「………っ」

左肩に熱い痛みが走り、黒の貴公子は肩を押さえると、撃った人物を見る。

「へー。君、銃使えるんだ?」

アマネの肩に手を置き、ウィルはアマネのとはまた違う拳銃を構えていた。撃ったのはウィルだったらしい。

どことなく息が上がっていて、頬を伝う汗が彼の必死さを物語っていた。

「ああ。だってこいつに拳銃の使い方を教えたのは俺だぜ?それに、アマネは銃の使い方があんまり上手くないんだよ。近くでしか当てられる自信がないからな。俺はどっからでも撃てるが」

「……ウィル」

「安心しろ。閉じ込められてた男の人は助けたし、警察にも連絡は入れた。お前が銃声鳴らしてくれたおかげて位置も分かったし」

アマネの疑念の籠った視線を理解したウィルは、小さく口端を上げる。

「……まるで、お姫様を助けに来た王子様みたいだね。いや、騎士の方が似合うかな?」

血が浮き出る肩を押さえながら、黒の貴公子は笑っていた。

「王子でも騎士でもねぇよ。ただの探偵の助手だ!」

「いえ、『優秀な助手』ですよ」

今度はアマネが足を狙って発砲するが、黒の貴公子は橋を飛び降りた。

「なっ!」

「気が変わったよ、ミス・アマネ。僕は君を手に入れることにする。そしたら、僕の心は埋まりそうだ」

ウィルとアマネは橋の下を見下ろす。だが、黒の貴公子の姿はない。

「心が埋まる?何のことだよ……てか、アマネを手に入れるって……マウンテンゴ―いや、ティラノザウルスに手を出そうとは、怪盗って無謀だな」

「死なない程度に八つ裂きにしてあげましょうか?」

ガシッとウィルの顔を鷲掴み、グッと力を入れるアマネ。

「いだだだっ!ちょ、潰れるぅぅぅぅぅ!!顔が、顔が潰れるから止めて!!」

「……安心してください。潰れても新しい顔を用意してあげます」

「無理だろ!何だよそのグロテスクなもの!!てか、あ、やめ、イヤァァァァァァァ!!」

ベーカー街の夜中に、男の悲鳴が響き。それが後に怪談話として話題になるとは、誰も思わなかった。