黎明センチメンタル

休憩中の事務所はだだっ広く感じる。壁にかけられたシフトをぱらぱらと捲ってみた。

影内馨

何度見ても、やはり綺麗な名前で胸が軽くなる。

「影内、馨」
「なんですか」

不意に返ってくる声に驚いて手に持っていた煙草から灰が床へと転がった。

「おっ、お疲れ様です。え……なんで居るんですか」

横目でシフト表を見ても彼の名前の横には「休み」の文字。今、目の前にいるのは何故?

「来月のシフト、出しに来たんです」

目も合わせずに引き出しから用紙を取り出して椅子に腰をかけた。生憎、テーブルの上に転がっていたボールペンのインクは全て空。

「……よければ」

そっと差し出したボールペンは、私の体温を宿して温かい。

「……どうも」

さらさらと書き上げる字は綺麗。
記される数字は全て私とは被らない。

「……やっぱり綺麗な名前ですね」

最後に書き記された名前。それを覗き込み呟くと、冷ややかな声で「はぁ」と返された。

「馨ちゃんって呼んでいい?」
「嫌です。名前嫌いなんで辞めてください」

心が折れてしまいそうな返事。だけど今日の私は少し違った。
隣に座り、黙る彼に話し続ける。

「じゃあ影ちゃん?」
「お好きにどうぞ」
「じゃあ馨ちゃんね」
「だから……」

そんな押し問答すら、何処か楽しくて平坦な感情の彼を隣で見ていると体の芯が熱くなる。

「……ねぇ、またこうして話せる?」
「日下さんが、下の名前で呼ばないなら」

終始興味無さげだった彼は私の休憩が終わるまで事務所に居た。それがどう言う意味なのか、分かるようで分からなかった。