俺たちは電車を乗り継ぎ、役所が閉まる直前に鄙びた温泉町につくとダッシュで役所に走り、今度こそ婚姻届けを提出した。
「これで、あたし、中村サチになったんだね」
サチが嬉しそうに言うと、俺も嬉しくなって思わずサチを抱きしめた。
「今日は、近くの宿をとって泊まろう」
俺が言うと、サチが目を輝かせた。
「ハネムーンだ!」
俺からすると、あの男がいつ現れるかわからない危険な部屋に戻りたくなかっただけだが、サチはそれを良い方に捉えてくれたらしい。
駅に戻り、観光案内書で宿の手配を頼むと、鄙びているくせに値段ばかり高い宿が多く、俺は手持ちの現金をすべて電車代に使ってしまったことを思い出し呆然とした。
しかし、俺に代わってサチが案内書の人と話をすると、俺たちでも泊まれるような手ごろな宿を紹介してもらえた。
駅の近くにあるATMで現金を下ろし、俺とサチは案内書で貰った指示書に従い、再び電車に乗った。
トンネルを抜けると海が迫り、あっという間に電車はトンネルに吸い込まれる。そんな不思議な景色が何回か繰り返し、俺とサチは更に鄙びたというか、ほとんど何もない駅に降り立った。
夕暮れ時にぼうっと浮かぶ街灯に照らされ、俺とサチは地図を片手に山道というのが正しいような急傾斜の坂を上り始める。
近くにペンションはあったが、土産物を置いてそうな店もなく、それこそコンビニもない道を俺とサチは上がっていった。何回か角を曲がり、本当にこんな先に宿があるのかと俺が不安になったころ、かなり経営が傾いていそうな宿の看板が見えてきた。
元は豪華にペイントされていたのだろうさび付いていた門をくぐり、結局は入り口までまた急傾斜を上る。
玄関でベルを押すと、出て来た重量級のおばさんが『ああ、観光案内書から連絡のあった人ね』と言って俺たちを案内してくれた。
宿帳らしきものも、受付らしきものもないペンションは、俺たちをいきなり部屋へと案内した。
格安なのだから、文句は言えない。
新婚なので、できればバストイレは別にと希望は出したが、お風呂は共同の温泉しかなく、ペンションなのでトイレも廊下の向かいにあるのを使うようにと案内され、小さなテーブルの上に置かれた宿泊申込書なるものに、俺は名前を記入した。
別に、身元なんて詮索しないんだから、そんな見栄張って新婚なんて言わなくたっていいのにと言わんばかりのおばさんの冷たい視線に、俺は婚姻届け提出の控えを突き付けてやりたくなったが、とっとと記入した紙を手渡し、おばさんには退出願うことにした。
「申し訳ないんですけどね。うちでは、予約のお客さん以外の食事は用意してないんですよ。坂を下って、右に行ったところにコンビニがありますし、その先に定食屋もありますから、夕食はそちらでお願いしますね」
客を客とも思っていないようなおばさんの言葉にも腹が立ったが、先にそれを教えておいてくれれば、先に食べ物を買ってきたのにと言う怒りの方が俺の中では強かった。
「わかりました。ありがとうございます」
そんな俺に構わず、サチは笑顔でお礼を言った。
多分、俺とは違う、こういう人間のできたところが大将や、定食屋のみんなにサチが好かれる理由なんだろうなと俺は思いながら、重量級のおばさんの背中を見送った。
「あの坂、また降りて、上らないとだね」
サチは言うと、貴重品の入ったバッグ以外を部屋に残し、俺の手を取った。
「結婚式の御馳走とはいかないけど、何か食べ物を買いにいこう」
そう、俺とサチの辞書に外食と言う文字はない。こんな時でも、結局俺たちは外食ではなく、コンビニ弁当で慎ましく結婚を祝うことにした。
来るときはぼんやりと光っていた街灯が闇の中にくっきりと姿を現していた。それでも、間隔が遠いため、ところどころ暗い場所があるので、俺とサチは道路わきの側溝に落ちないよう、道路の真ん中を歩いた。
「見て、コータ。すごい星が沢山!」
街灯と街灯の途絶えた暗闇から見上げる空は、いつもと同じ空とは思えないくらい沢山の星が輝いていた。
「ねえ、あの星たちも、あたしとコータのこと、祝福してくれてるよね?」
サチの問いに、俺はサチを抱き寄せた。
「当たり前だろ。やっと、俺とサチがゴールインしたんだぞ。祝ってくれてるに決まってるだろ」
俺が言うと、サチは喜ばずに俺のことを見上げた。
「コータ、あたし、これがゴールじゃ嫌だよ」
「えっ?」
「これから、もっとコータと幸せになりたい」
サチが俺の胸に顔を埋めた。
「バカだなあ。そんなの当然だよ。俺だって、サチともっと幸せになりたいから、結婚したんだ。これで終わりなんかじゃない。つまり、交際関係はゴールに達して、結婚生活のスタートってことだよ」
俺は言いながら、俺たち、交際していたのかという疑問を抱いたが、それは口にしなかった。
「ありがとう、コータ。あたし、コータと結婚できて、すごく嬉しい」
「俺も、サチが俺の嫁さんになってくれて、本当にうれしい。正直、婚姻届け書いてくれなかったらどうしようかって、もう少し考えたいとか、時間が欲しいとか言われたらどうしようかって、不安だったんだ」
「そんなわけないよ。あたしはずっと、コータが好きだったんだから」
「じゃあ、いこうか」
俺はサチを促し、暗い夜道を下ってコンビニを目指した。
確かに、坂を下って右に行った先と言う表現に間違いはなかった。
だが、その説明だと、右に曲がったらすぐコンビニがあるように感じられる説明だったから、実際にコンビニにたどり着いたとこの俺とサチは、クタクタだった。
計ってはいないが、軽く一時間近くは歩いた気がする。
コンビニでお弁当を買い、帰る前に冷え切るなと思った俺たちは、コンビニの駐車場に座って震えながら結婚初夜の粗末な晩餐を済ませた。
食べ終わり、ごみを捨てながら、まさか朝になったら、朝食も予約の客の分しかないとか、言い出さないだろうなと、俺は心配になり、日頃なら買わない、アンパンを二つ買い足した。
「海が近いんだね」
真っ暗でよく見えないが、道路の向こう側は真っ暗な闇が広がり、波の音が聞こえていた。
「サチ、この辺に住んでたんじゃないのか?」
俺は疑問に思って問いかけた。
「住んだことないよ。ここは、あたしのお父さんの故郷なんだと思う」
サチの『思う』と言う言葉が気になったが、俺だって、あの男と死んだ母さんのことを事細かく説明して欲しいと言われたくないから、それ以上追及はしなかった。
「じゃあ、締め出されないうちに帰るか」
「うん」
俺とサチは腕を組み、来た道を宿に向かって歩き始めた。
駅近くの商店街を抜け、坂道を下っていくと、遠くに海が見えた。
☆☆☆
「これで、あたし、中村サチになったんだね」
サチが嬉しそうに言うと、俺も嬉しくなって思わずサチを抱きしめた。
「今日は、近くの宿をとって泊まろう」
俺が言うと、サチが目を輝かせた。
「ハネムーンだ!」
俺からすると、あの男がいつ現れるかわからない危険な部屋に戻りたくなかっただけだが、サチはそれを良い方に捉えてくれたらしい。
駅に戻り、観光案内書で宿の手配を頼むと、鄙びているくせに値段ばかり高い宿が多く、俺は手持ちの現金をすべて電車代に使ってしまったことを思い出し呆然とした。
しかし、俺に代わってサチが案内書の人と話をすると、俺たちでも泊まれるような手ごろな宿を紹介してもらえた。
駅の近くにあるATMで現金を下ろし、俺とサチは案内書で貰った指示書に従い、再び電車に乗った。
トンネルを抜けると海が迫り、あっという間に電車はトンネルに吸い込まれる。そんな不思議な景色が何回か繰り返し、俺とサチは更に鄙びたというか、ほとんど何もない駅に降り立った。
夕暮れ時にぼうっと浮かぶ街灯に照らされ、俺とサチは地図を片手に山道というのが正しいような急傾斜の坂を上り始める。
近くにペンションはあったが、土産物を置いてそうな店もなく、それこそコンビニもない道を俺とサチは上がっていった。何回か角を曲がり、本当にこんな先に宿があるのかと俺が不安になったころ、かなり経営が傾いていそうな宿の看板が見えてきた。
元は豪華にペイントされていたのだろうさび付いていた門をくぐり、結局は入り口までまた急傾斜を上る。
玄関でベルを押すと、出て来た重量級のおばさんが『ああ、観光案内書から連絡のあった人ね』と言って俺たちを案内してくれた。
宿帳らしきものも、受付らしきものもないペンションは、俺たちをいきなり部屋へと案内した。
格安なのだから、文句は言えない。
新婚なので、できればバストイレは別にと希望は出したが、お風呂は共同の温泉しかなく、ペンションなのでトイレも廊下の向かいにあるのを使うようにと案内され、小さなテーブルの上に置かれた宿泊申込書なるものに、俺は名前を記入した。
別に、身元なんて詮索しないんだから、そんな見栄張って新婚なんて言わなくたっていいのにと言わんばかりのおばさんの冷たい視線に、俺は婚姻届け提出の控えを突き付けてやりたくなったが、とっとと記入した紙を手渡し、おばさんには退出願うことにした。
「申し訳ないんですけどね。うちでは、予約のお客さん以外の食事は用意してないんですよ。坂を下って、右に行ったところにコンビニがありますし、その先に定食屋もありますから、夕食はそちらでお願いしますね」
客を客とも思っていないようなおばさんの言葉にも腹が立ったが、先にそれを教えておいてくれれば、先に食べ物を買ってきたのにと言う怒りの方が俺の中では強かった。
「わかりました。ありがとうございます」
そんな俺に構わず、サチは笑顔でお礼を言った。
多分、俺とは違う、こういう人間のできたところが大将や、定食屋のみんなにサチが好かれる理由なんだろうなと俺は思いながら、重量級のおばさんの背中を見送った。
「あの坂、また降りて、上らないとだね」
サチは言うと、貴重品の入ったバッグ以外を部屋に残し、俺の手を取った。
「結婚式の御馳走とはいかないけど、何か食べ物を買いにいこう」
そう、俺とサチの辞書に外食と言う文字はない。こんな時でも、結局俺たちは外食ではなく、コンビニ弁当で慎ましく結婚を祝うことにした。
来るときはぼんやりと光っていた街灯が闇の中にくっきりと姿を現していた。それでも、間隔が遠いため、ところどころ暗い場所があるので、俺とサチは道路わきの側溝に落ちないよう、道路の真ん中を歩いた。
「見て、コータ。すごい星が沢山!」
街灯と街灯の途絶えた暗闇から見上げる空は、いつもと同じ空とは思えないくらい沢山の星が輝いていた。
「ねえ、あの星たちも、あたしとコータのこと、祝福してくれてるよね?」
サチの問いに、俺はサチを抱き寄せた。
「当たり前だろ。やっと、俺とサチがゴールインしたんだぞ。祝ってくれてるに決まってるだろ」
俺が言うと、サチは喜ばずに俺のことを見上げた。
「コータ、あたし、これがゴールじゃ嫌だよ」
「えっ?」
「これから、もっとコータと幸せになりたい」
サチが俺の胸に顔を埋めた。
「バカだなあ。そんなの当然だよ。俺だって、サチともっと幸せになりたいから、結婚したんだ。これで終わりなんかじゃない。つまり、交際関係はゴールに達して、結婚生活のスタートってことだよ」
俺は言いながら、俺たち、交際していたのかという疑問を抱いたが、それは口にしなかった。
「ありがとう、コータ。あたし、コータと結婚できて、すごく嬉しい」
「俺も、サチが俺の嫁さんになってくれて、本当にうれしい。正直、婚姻届け書いてくれなかったらどうしようかって、もう少し考えたいとか、時間が欲しいとか言われたらどうしようかって、不安だったんだ」
「そんなわけないよ。あたしはずっと、コータが好きだったんだから」
「じゃあ、いこうか」
俺はサチを促し、暗い夜道を下ってコンビニを目指した。
確かに、坂を下って右に行った先と言う表現に間違いはなかった。
だが、その説明だと、右に曲がったらすぐコンビニがあるように感じられる説明だったから、実際にコンビニにたどり着いたとこの俺とサチは、クタクタだった。
計ってはいないが、軽く一時間近くは歩いた気がする。
コンビニでお弁当を買い、帰る前に冷え切るなと思った俺たちは、コンビニの駐車場に座って震えながら結婚初夜の粗末な晩餐を済ませた。
食べ終わり、ごみを捨てながら、まさか朝になったら、朝食も予約の客の分しかないとか、言い出さないだろうなと、俺は心配になり、日頃なら買わない、アンパンを二つ買い足した。
「海が近いんだね」
真っ暗でよく見えないが、道路の向こう側は真っ暗な闇が広がり、波の音が聞こえていた。
「サチ、この辺に住んでたんじゃないのか?」
俺は疑問に思って問いかけた。
「住んだことないよ。ここは、あたしのお父さんの故郷なんだと思う」
サチの『思う』と言う言葉が気になったが、俺だって、あの男と死んだ母さんのことを事細かく説明して欲しいと言われたくないから、それ以上追及はしなかった。
「じゃあ、締め出されないうちに帰るか」
「うん」
俺とサチは腕を組み、来た道を宿に向かって歩き始めた。
駅近くの商店街を抜け、坂道を下っていくと、遠くに海が見えた。
☆☆☆



