「それで? 君はなんで学校行ってないの?」

男からの問いに、わたしは前を向き、ため息に似た息を吐いた。

「話してもいいけど……」

言ったあと、もう一度男を見た。

「信じてくれる?」

男は、頭の上に一瞬疑問符を浮かべたあとに頷いた。


「わたしも、あなたとまったく同じ。一言にまとめてしまえば、学校へ行く意味がわからないから行ってない。

小四で学校へ行く意味に疑問を抱いたが、もとはわたしも人付き合いが苦手だったせい。

人付き合いに苦手意識を抱くようになったのは、幼稚園の頃に仲のよかった友人と口論になったことがきっかけ。

かなり気が合う子だったんだけど、ある日、教論をも巻き込む口論になった。

わたしも覚えてはいないけど、きっかけは多分些細なこと。

こっちも、二人の問題なのだから二人で解決すればよかったものの、相手が教論を巻き込み、大事になった。

教論を巻き込んだその相手は、あなたの友人と同じ行動を取った。わたしと話していたときと違うことを教論に話したのね。

そのため、教論にはわたしに否があると見なされ、わたしが謝罪することとなった。

それからというもの、事実を話しても通用せず、ならばと思い相手に受け入れられやすい形に変えて話せば、嘘つき呼ばわりされるという状況に何度も直面した。

それをきっかけに他人と接することが面倒に感じるようになり、小四のとき、人付き合いの上手さが平穏な日々の鍵となる学校生活に意味を求め始めた。

当時のわたしにとって最も博識であった、両親と、三歳離れた兄に学校へ行く意味を問うた。

三人とも、同じような曖昧な答えを返した。

わたしは、頭のいい家族でさえ詳しく知らない、『学校へ行く意味』を自分で見つけようと考えた。

学校へは行く意味を見つけることを目的に通い続けたが、小学校卒業が目前に迫ってきた頃にも、それは見つけられなかった。

時間の流れには逆らえず、そのまま小学校を卒業した。あなたと同じように、学校へ行く意味を見つけられないまま春休みが明けた。

学校へ行く意味がわからないままのわたしは、あなたと同じ行動を取った。

そう、入学式と卒業式も含め、一度も学校へは行かなかった」

あなたの言葉をところどころ変えただけのように聞こえるかもしれないけど事実よ、とわたしは締めくくった。