涙に逢うまでさようなら

静子さんには五歳離れた兄がいると予想され、なっちには三歳ほど離れた弟がいると予想された。

三歳離れた兄がいると言うと、それくらいかなとも思ったと静子さんは悔しがっていた。


それから一年ほど掛けて商品を貯めると、小物作りの方ではデザインを担当していたなっちの出番がやってきた。

計十四名の友人とは反対に、小物作りなどの細かい作業は苦手だが、

棚やテーブルなどの大きなものを作るのは得意らしい。

彼女はギャップというものの塊なのだろうかと思った。


なっちが仕切る形で作業が進むようになった頃には、彼女は控えめであったのに対しわたしの耳にはそれなりの数のピアスホールが開いていた。

わたしは、最初に開けたイヤーロブの少し上に左右二つずつ、

右耳には他に、アウターコンクを二つとトラガスを一つと、左右計九つのホールを開けた。

九つ中八つを自分で開け、自分では開けにくい場所のトラガスはスタジオで開けた。


なっちは、両耳のイヤーロブを一つずつ増やし、右耳にはさらに一つのアウターコンクを開けた。

わたしたちがピアスホールを開けたのは、商品の宣伝のためだった。

イヤリングでもよかったのだが、ピアスに興味があったこともありホールを開けた。