涙に逢うまでさようなら

駄菓子は、スルメ三枚、チーズ二本、棒状の菓子一本を購入していた。

そのうち、スルメを二枚、チーズと棒状の菓子を一本ずつ食べた。

食べている途中、スルメを二枚もしゃぶるならカップ麺をすすってもよかったかもしれないと思ったが、

わざわざ箸を使ってものを食べたい気分ではなかったためこれでよかったのだと思考を落ち着けた。


歯を磨いて部屋へ戻ると、入浴後に空けたペットボトルに、主にカップ麺を作るのに使うミネラルウォーターを注いだ。

コップやグラスを使ってもいいのだが、あまり一階へは行きたくない。

そのため、二リットルの水とともに五百ミリリットルのペットボトル飲料を常備しておき、そのペットボトルを空けたあとさらに二度は使うようにしている。

こういうところばかりは、母親の血を受け継いでよかったと思える。

父親の血を受け継いでしまっていては、一度使ったペットボトルを再利用するなんてことは自殺行為に近いものと捉えられ、とてもできない。

父親は、もともとの性格なのか医者という職に就いたせいなのか、菌や清潔といったことにはかなりうるさい。

彼の清潔への執着は、こちらの記憶にある限り、外出の際に抗菌だか除菌だかのアイテムを持っていないことはなかったほどだ。

ウェットティッシュのようなものだったりジェルのようなものだったり、必ず二点以上のそういったアイテムを持ち歩いていた。

家の中でも、あちこちで液体を噴射しては拭き取るという行動を繰り返していたのを覚えている。

それでいてものを捨てられない部分もあるのだから、わたしにとって父親が一緒にいて楽な存在であるわけがない。

ものを捨てられないのはよくわかるが、汚れを気にするのであれば使わなくなったものは捨ててしまえよという思考回路が働いてしまう。