エレベーターでお餅



 一頻りじゃれ合ったあと、ふたりで揃って会議室を出た。この二ヶ月のもやもやはすっかり消えて、頭のてっぺんから足の爪先まで幸福で満たされている。そんな気分だった。キスは偉大だと思った。

「なあ、今晩時間ある?」

 唐突に、二階堂が切り出す。

「うん? あるよ」

 てっきり食事のお誘いだと思ったのに、提案されたのは予想外のこと。

「じゃあうち来るか?」
「ん、え? ええ? 二階堂の、うち?」
「そう。ちょっと散らかってるけど、まあ別に足の踏み場がないってわけじゃないし」
「え、や、あの……お邪魔して、いいの?」
「いいよ。ていうか、恋人同士なんだから、部屋の行き来くらいするだろ」
「そう、だよね」

 二ヶ月前から恋人同士だった。でも恋人らしいことは何もなくて。「付き合うというのはそもそも何をすることだろう」なんて、二十八歳にもなって恋愛経験のない学生みたいな疑問を持ったりもしていた。

 でも今日、ようやく初めてのキスをして、ようやく恋人としての日々が始まった。頭のてっぺんから足の爪先まで満たされていた幸福が、あちこちから溢れ出してしまいそうな。そんな錯覚に陥って、二階堂に抱きつきたくなった。

 でもここは社内で、みんなが行き来している廊下。寸ででとどまって、顔を上げる、と。

 視線の先に南がいた。書類を抱えて歩いていた彼女は、わたしたちの姿を見つけると、何かを察したのかぱあっと笑顔になった。察する能力に長けた彼女は、西島さんの気持ちに気付いているのだろうか。

 持っていた書類を投げ出しそうな勢いでやって来る南を見て、二階堂が「次は南の番だな」と呟く。「本当にね」と返して、嬉しそうな南を受け止めた。「恋人になれそうでなれない友だち以上恋人未満の同僚がいたら」と言っていた彼女に、わたしから溢れ出た幸福が届きますように。大事な同期が、大事な先輩が、幸せになりますように。

 そんなことを考えながら二階堂を見上げると、優しい顔で笑いかけられた。さっきまでの不機嫌も、呆れも、嫉妬も何もない、優しい表情。やっぱりキスは偉大だと思った。






(了)