ふたりで取引先に行った帰り。会社の最寄り駅に降り立った瞬間から始まった片想いの話は、社のロビーに入ってもまだ続く。
 わたしから南の情報を引き出すことを諦めた西島さんは、今度は彼女の普段の様子を探ろうとした。

 普段どんなところで飲んでいるか、どんな話をしているか、どんなものに興味があるか、……。
 とはいえ南の許可なく何でも話してしまうわけにもいかず、当たり障りのない返答を繰り返す。それでも西島さんは焦れたりくすぐったがったり、片想いを存分に満喫しているみたいだ。


「ああ、そういえばこの間南に、いい感じのバーに連れて行ってもらったんですよ」
「へぇ、どんなん?」
「格式高いセレブな感じじゃなく、普通の住宅街にあって若者が気軽に入れるような、カジュアルな店でした」
「この近くにあるの?」
「電車で一駅です。駅を出たら歩いてすぐでしたよ」
「さすが郷子ちゃん! 良い感じの店のリサーチもしっかりしてるなんて!」
「まあ南はお酒好きですからね」
「お酒強いんだ?」
「普通だと思いますよ。でも好きなお酒で失敗したくないって言って、節度のある飲み方をしてます」
「さすが郷子ちゃん! 決して飲みすぎない、ほんとしっかり者!」

 ただし片想い相手を、その友人の前で褒めちぎるのは程々にしたほうがいいと思う。西島さんが良いひとなのは分かっているけれど、「さすが郷子ちゃん!」を連呼しすぎて、もはや安っぽく聞こえる。南に西島さんを推していいものか迷ってしまう。

 そしてわたしも一応同じ「サトコ」だから、こうも名前を連呼されると妙な気分になってしまう。まあ、西島さんの中でわたしは「鈴村」でしかなくて、なんなら親しいみんなには「スズ」と呼ばれているから、それが名前だと思っているかもしれない。


 ロビーを横切り、エレベーター前まで辿り着くと、西島さんは決意に満ちた表情でわたしを見下ろす。

「俺、決めたよ。絶対に郷子ちゃんを誘うから。絶対に振り向いてもらうから。振り向いてもらえるようなしっかりした男になるから。だからそれまで、もうちょっと待っててな」
「はい。楽しみにしてます」
「あ、でも……どうしようもなく駄目なときは、おまえに頼ってもいいか?」
「いいですよ。西島さんの頼みなら、いくらでも」

 笑顔でそう返して頷いた、のは、入社当時ダメダメだったわたしに、西島さんが丁寧に仕事のあれこれを教えてくれたという恩があるからだ。
 そして、少しでも二階堂に近付きたいと思ったからだ。

 二階堂は面倒見が良く情に厚いやつだ。誰の誘いでも決して断らないし、休日返上で同僚たちの悩みを聞いてあげたりしている。ついこの間は、二十三時過ぎに同僚カップルに呼び出され、浮気疑惑を晴らしてあげて、喧嘩の仲裁を日付けが変わるまでしていたらしい。
 だからきっと二階堂なら、先輩から恋の相談を受けたら、無条件で協力してあげるだろう。

 二階堂と恋人らしいことはできていない。むしろあまり顔も合わせていない。本当なら他人の恋のことを考えている場合ではない。
 でも、だからこそ今は二階堂と同じことをして、少しでも彼に近付ければな、と。思ったのだ。


 西島さんは柔らかく笑って頷き、「あー、郷子ちゃんとのデート場所、考えておかなきゃなぁ」なんて言いながら、到着したエレベーターに乗り込む。わたしも「そうですねぇ」なんて返しながらそれに続く、と。

「お、二階堂。おまえも今帰り?」

 エレベーターの「開」ボタンを押しながら、西島さんがそう言ったから、驚いて振り向いた。