私の不安をあなたが一番知っている

「期待して入ったのに、二年間クーラーなしと聞いたみんなは口々に文句を言いました。でもやけになって、心頭滅却すれば火もまた涼し、と言い張った先生を見ると私は何も言えなくて」


その日、不満の嵐が先生を吹き叩いた。


「でも本格的に暑くなると我慢できずに県のせいにしたりどうでもいいことにお金をかける学校のせいって言ってしまうんです。でもそのどうでもいいことだって、先生は良かれと思ってやっているんですよ。マラソンだってよく考えてみれば、開催しようと思うのももわかります」


ただでさえ運動不足なのに冬はもっと動かない。冬の間に体力がガタ落ちするのは目に見えている。


体力がないと体調も崩しやすくなる。
けど、マラソン大会は辛すぎる。


これがウォーキングなら私は嫌がらなかったどころか、楽しみにしていたかもしれない。散歩は元から好きだし、走るのは遅くても歩くのは速いし。
ウォーキングでも距離があれば運動になる。そもそも体力がない人に最初から走らせるのがよくなかったんだ。


生徒会に言ってみたらどうだろう。
これは革命が起きるかもしれない!


脳内でマラソン大会前の憂鬱な気分が消え、友達と話しながら歩く生徒の塊が出来る。


「何か嫌なことがあっても人を責めるようなことは避けたいんです。嫌な気持ちにさせず、言うことを聞いてもらえる方法があるならそっちの方がいいじゃないですか。けど、最近は悪いところを指摘し続け、他人を黙らせた方が正しい、という空気が生まれた気がします。黙らせるだけならまだしも、スクリーンショットを載せて、悪口を羅列するなんてやり過ぎですよ。そういう人は自分の意見を聞いてもらうのではなく、人を追い詰めて優越感を得るのが目的に変わっています」


さっきまでの愉快な想像と打って変わって、今まで見てきた中で一番ひどい例を思い浮かべた。
接続詞もなくただ悪口を並べるだけ。ただ言ってみたかっただけなんだな、というのがわかる。しかもそれをいい歳の大人が呟いているんだ。
自分が知っている悪口を並べるのは小学生のやることだ。いや、小学生の方がもっと面白いことを言う時がある。


「って、また最近はって言っちゃった。一括りにしたらまともに最近生きている人に失礼ですよね」


最近の子はいつもスマホで連絡する、最近の子は景気がいい時期を知らなくて可哀想。
それが私たちの生きる時代で、それが私たちの生き方になる。状況が変われば生き方だって変わる。


可哀想と言われてもその中で生き抜くしかないし、張り詰めた空気を経験した私は、若い時に騒いでいた大人に負けないつもりだ。


きっと可哀想と言ってきた人は、若いときのあなたも景気がいいからと調子に乗って騒いでて、結構可哀想だ、なんて言ったら怒っていただろう。


「さっきから嫌だと思うことを挙げていましたが、きっと私の言葉も、どこかで誰かを不快にさせているんでしょうね」


口には不快感が残っていた。思っていることを吐き出したってスッキリはしない。
一番嫌なことは、人を不快にさせていても、誰を何で不快にさせたのか気付けないことだ。


「それでも君は、出来るだけ迷惑をかけないようにしているじゃないか。その心がけだけでも人は大分変わる」


吐き出しただけではどうにもならない。けど、優しい言葉をかけてもらえることで何かが変わる。


こんな私の言葉を受け入れてくれた。
行き場をなくし、心の中でぶつかり傷つけあっていた感情がやっと逃げ出せた。


たとえ心にもない言葉だったとしても、心が温かくなって、明日から頑張ろうと思えた。


低く穏やかな声の余韻に浸っていると、高い無機質な呼び鈴が鳴る。


体は本心に逆らってスムーズに立ち上がった。いつもの立ちくらみもない。


朝より軽くなった体が逆に私を寂しくさせた。