「ごめん。
何度言われても、無理なの。
ほんとにごめんなさい。」

頭を下げている奏を見て、俺は心の底からほっとする。

そうか!
あの『別れの曲』は、こいつに向けて弾いたんだな…。


「何で?
他に好きな奴でもできた?」

男は焦っているように見えた。

「付き合ってる人がいる。」

男が固まった。

「いつから?」

「先月…」

「最近じゃん。
俺たち3年も付き合って結婚の約束をする
くらい上手くいってただろ?
カナは、絶対、俺との方が上手くいくよ。
俺はカナのためなら何でもできる。
お願いだよ。俺とやり直そう?」

奏を傷つけて捨てたくせに、何言ってんだ?

俺は、もう我慢の限界だった。

黙って立ち上がり、奏の横に立った。

「お話し中、失礼します。
隣の席まで話が聞こえてしまったものです
から…
私は田崎優音と申します。」

冷静に話すため、俺は名刺を出して自分の中でビジネスモードのスイッチを入れる。

「課長さん?」

名刺を受け取った男は、俺の顔と名刺を見比べて怪訝な顔をした。

まぁ、同世代で管理職についている奴は少ないだろう。

「すみません。
今、プライベートなので名刺を持って
いなくて…」

「構いませんよ。
しかし、彼女は先程から迷惑をしているように
見受けますが、あなたは好きな女性を困らせて
平気なのですか?」

俺の言葉に男の動揺が見える。

「今、奏と付き合ってるのは、私です。
私個人としては、交際期間の長さは、想いの
深さとは比例しないと思うのですが、
まあ、しかし、あなたがそれを重要視したい
のであれば、私から言わせると、たかが3年
付き合った位で奏の何が分かる?と思います
けどね。
私は20年以上、彼女を想い続けてますから。

あなたは、結婚の約束をしたとおっしゃい
ましたが、私は奏の両親に挨拶をして、結婚を
前提とした交際に快く了承をいただいて
います。

何より…」

俺は感情を抑え切る事は出来なかった。

「奏が今愛してるのは、俺だけだ!」

俺がそう言い放つと、男は座ったまま、うなだれていた。

「ヒロ?
ほんとにごめんね。
でも、ありがとう。
気持ちは嬉しかったよ。
裏切られたと思ってたから、そうじゃないって
分かって嬉しかった。
体に気をつけて、どうか幸せになって。」

奏が奴に優しい言葉を掛けているのを聞くと、無性にイラついた。

俺は奏の腕を取って立たせた。

「奏、行くぞ!」

「うん。
ヒロ、ほんとに体には気をつけて。
ヒロの幸せを祈ってるから。」

奏はまだ奴の心配をしている。

俺は奏を引きずるように店を後にした。