由弦がいつものように縁側にいると、墨絵師、椿岩山の弟子達が何やら用意し始めた。
セッティングが終わると、椿氏は筆を取り、龍の絵を描き始めた。
檜の特殊加工された板に、下描きなしで迷いもなく描き出した。
筆の角度や水の量で、線の強弱や濃淡を表現する、筆や墨の性質を知り尽くして描いている。
それはもう感覚だけで描いてるようにも思えた。
いや、もやは彼の手が筆のようだった。
描いている椿氏のそばで、由弦は食い入るように見ている。
椿氏が驚いたのは、由弦のその集中力だった。
弟子たちは少しの雑音にも反応するのに対し、それにも気を逸らすことなく、雑談にも耳を貸さず、筆の魔術師のような椿氏の手をひたすら見ていた。
椿氏は、その集中力に感心すら覚えた。
「描いてみるか?」
と椿氏のその言葉に、由弦は驚いた。
自分の右手を掴んで俯く由弦。
「手が動かないからって萎縮しなくていい。上手く描こうなんて思わなくていい、自分の思うように描いてごらん」
椿氏は、優しく由弦に話し掛けた。
リハビリをさせるためなら、きっかけは何でもいいと思っていた。
椿氏の言葉に、由弦は筆を取り、見様見真似で描き出した。
龍の出来栄えとしては、素人同然だったが、筆の使い方を心得ている辺りは、やはり絵師として目を見張るものがあった。
周りにいた弟子たちも、感嘆の声をあげた。
「それらしく見えるじゃないか」
椿氏は感心して笑った。
久し振りに、やり切った感を得たように見えた由弦に、
「忘れてはいけないよ?自分の好きなことまで。自分の気持ちまで裏切るようなことはしてはいけない。君の中にある情熱は、何一つ冷めてはいない。今、達成感に満ちているだろ?その気持ち、忘れてはいけない。心も体もままならなくても描き続けなさい!描き出した絵が君の全てを物語ってくれる。そしてその絵が、人々の心を捉え、感動を与える、またたくさんの影響も及ぼし、新たに何かを生み出すことを、私は信じている」
椿氏はそう言葉を残した。



