しきたりの中で樋口桃香の誕生日に必ず行われる儀式があった。
 蒸し暑い残暑も終わり、うつろいゆく季節の中で秋から冬の訪れを感じる頃。

 長い長い通路を歩く。
 たどり着いた先には1つの扉だけがある場所。

 立ち止まり、緊張気味に跪いて天に祈りを捧げる。
 そして目に布を巻かれて目隠しをされるのだ。

 暗黒の中で待つ恐怖は何ものにも代え難い。
 道案内、兼見張りとしてついてきた遠縁の親戚の者は通路脇に用意されている近くの小部屋で待つ。

 ただ1人。

 しんとした静けさが闇をも飲み込みそうな中でただ1人立つ。
 1人で待っていると足が竦んで逃げ出したくなるけれど、桃香に逃げ場など無かった。

 少しすると目の前にあるであろう扉からコンコンとノックの音が響く。

 それが合図だ。

 一歩前へと進み、こちらもノックを返す。
 ノックする手はいつの頃からか震えるようになってしまった。

 おもむろに扉が開いた音を聞いて身を固くする。
 扉の向こうから禍々しい空気が漂って桃香に纏わりついて離れない。

 いつものように空気が動くのを感じた後、ふわっと何かが柔らかく唇に触れて、それから扉は再び閉められた。
 おぞましさと恐怖でしばらくその場から動けない。

 これが桃香の誕生日に毎年行われる儀式だった。

 最初は何の意味があるのか分からなかった。
 それを幼い頃に聞いた時のことを桃香は今でも後悔している。

「どうして誕生日に目隠しして、唇をふにゃっとさせるの?」

「それは………。」

 言葉を詰まらせた母が泣き始め、父が忌々しいと言わんばかりに吐き捨てた。

「いつの日かの為のお味見の時間だそうだ。
 ずっと……古くからの習わしだ。」

「お味見………。」

 その意味が分かったのはずいぶん経ってからだ。

 桃香は辻本宗一郎の婚約者。
 辻本家に生まれた神の子、辻本宗一郎への……生け贄なのだ。

 毎年、目隠しをされ、口づけをするような形で生け贄を味見する時間。

 時を追うごとに触れて、舐められ、咬みつかれ……。
 人というものはこうやって恐怖に支配されていくのだと悟った。