中学3年の冬。卒業までカウントダウンが始まっている中、ジャージに身を包んだ郁奈が教科書類をスポーツバッグに入れていた。

「ねぇ、アリス。まだあの事親に言ってないの?」

「うん。もう少し調べたらね……言うよ」

「変なところで策士よね~アリスは」

もう慣れてしまった『アリス』と言うあだ名は、少なくとも自分には合っていない。そう思うのも億劫な程には聞き飽きている声の主は、腐れ縁で幼馴染みの『楓雅 雪姫(フウガ ユキ)』だ。『アリス』というのは『有栖川 郁奈(アリスガワ カナ)』と言う郁奈の苗字から取ったものだ。
郁奈自身は『似合わない』と言ってすぐに否定していたが、今では雪姫がずっと言ってきたお陰で、否定しなくなった。

「白雪は?」

「私はやっぱり、陸上やりたいから、日向と同じ高校に行く」

雪姫は、笑いながら言うと郁奈の目を真っ直ぐ見つめた。『白雪』とは、雪姫のあだ名で本人も結構気に入っている。

「郁奈。やりたいことを諦めないでね」

「諦めないよ。だって、他人に指図されたくないもん」

郁奈はスポーツバッグを持ちながら言うと、雪姫のスポーツバッグを担いだ。

「行くよ」

それだけ言うと、速足で教室を出た。部活を引退している二人はいつもならさっさと帰ってしまうが、今日は帰る気がしなかった。

「女子は残ってるかな?」

「どうだろうね。全滅はないと思う」

毎年冬になると女子の退部率が上がる。唯一誰も退部しなかったのは郁奈達の代だ。



「えっ、全滅!?」

グラウンドには男子陸上部員が揃っていた。

「あぁ。1年2年共に全滅だ。男子も、1年は全滅したな」

頭を抱えながら言ったのは、陸上部に残った『日向亜輝(ヒュウガ アキ)』。日向は陸上の推薦を既にもらっているため、ぎりぎりまで部活をやっていてもいいのだ。

「アリス。これは……ちょっと」

「すみません!もう少し引き止めておけばっ!」

郁奈から直接指導を受けた『維野真琴(ユキノ マコト)』は、青ざめた表情で下を向いている。

「大丈夫。維野のせいじゃない。でも、1年男子も全滅かと思うと、ヤバいね」

郁奈は、これからの部員が心配でしょうがなかった。
陸上部は、冬に毎年マラソンをやる。と言っても、校舎の周りを周回するだけだが、距離で示すとマラソン並みの距離になる。そのため、ついていけない人からどんどん脱落していく。

「だが、このマラソンは、陸上部の伝統なんだよなぁ。今更、辞める訳にも行かないんだよな」

やっぱりやめた方が良いのか?

と一人言をいう日向を、郁奈は思いっきり蹴っ飛ばした。

「ち、ちょっと!なにやってんの!?」

「イラついたから」

「まぁ……自業自得だけど、でも蹴っ飛ばすのはダメでしょ」

弱音を珍しく吐いた日向に、雪姫はゲンコツを落とし屈んだ日向を見下ろした。

「馬鹿なの?部員が退部しただけで伝統を辞めるの?」

弱気になっていた部員全員が郁奈の一言でシャキッとした。

「アリスの言う通りだよ!」

雪姫の言葉も効いたようで、日向は顔を2回叩いて気合を入れ直した。

「おっしゃ!じゃあ、準備体操が終わったらマラソンな!」

「おぉ!」

いつもの調子に戻った日向を見て郁奈は少し笑った。

あぁ、あいつはなんて単純なんだろ。私もあぁいう風になれたらいいのに。

そんなとこをふと思ってしまった郁奈は、自分も大概ネガティブだと思いながら自分もアップを始めた。


「お前、高校はどこ行くの?陸上関係のとこ?」

そんなことを聞いたのは、絶賛マラソンの首位キープ中の日向だ。普段は『単純馬鹿でちょろい』と後輩にまで言われている日向だが、今はマラソンのせいだろうか真剣な表情をしていた。

「……行かないよ。専門に行く。自分のやりたい事のために、近道しようかと思ってね」

「専門?何の?」

「声優」

「声優!?」

「そう。声優だよ。」

二人で首位をキープしつつの会話かと疑いたくもなるが、これが二人の通常だと知っている雪姫はまだ体が温まってない様子の後輩の方につくために少しスピードを落とした。
こういう風に空気を読むのは、いつも雪姫の役目だ。

「お前、陸上は?辞めんの?」

そんな雪姫の気遣いを知ってか知らずか、日向は話を続ける。

「……辞めるわけじゃない。選手としては辞めることになるけど、走ることは辞めない。それだけは、やめたくない」

郁奈は、自分で言ってるとこが矛盾している事だと分かっているが、さっきの日向の言葉を聞いて言わずにはいられなくたった。

「……矛盾してる」

でも

と前置きをすると、郁奈の背中をバンッ!と叩いた。

「アリスが焦ってるのは珍しいし、正直面白い。だが、前を向いてないお前は、調子が狂う」

後、さっきの仕返し。

と言ってさらにスピードを上げた。どう考えても仕返しの域を超えているが、日向なりの励ましだと思って、黙って受け取った。



マラソンが終わり、郁奈と日向と雪姫以外がバテたため今日の部活は早めに終わることにした。

「凄いっすね、先輩方。俺達も一年後は先輩方のようになれますかね?」

「バーカ。百年早いわ!俺達は小学校一年の時から走ってんだからな!」

「亜輝先輩。大人気ないっすよ」

「そうですよ~」

自慢気に話す日向に、冷静にツッコミを入れる後輩。
日向はまたもや大人気なく絡んだ。

「いいだろ?まだ卒業してねぇし!つか、後輩が冷たい!俺泣いちゃう!」

「勝手に泣け」

むさ苦しい部室に高い声が響いた。日向はハッとして扉の方を向いた。

「おい!ここ、男子部室だぞ!何普通に入ってんの!?」

「今更だろ?って言うか遅い!いつまで待たせる気?凍える」

「維野達はいいけど、日向は後で肉まんおごりね」

「ざけんな白雪!俺の財布破産させる気か!」

ギャーギャー騒ぐ2人を横目に郁奈は維野に目を向けた。

「維野。亜輝からきいた?次の主将の事」

「?いえ、聞いてません」

「そう。次の主将は維野だから。じゃ、伝えたよ」

サラッと言った郁奈は未だにギャーギャー騒いでいる2人を止めに行った。

「ぇ、えぇぇーーーーー!!」

維野達が上げた悲鳴に近い驚愕の声は、ギャーギャー騒いでいる日向と雪姫の声にかき消された。