〈夜桜〉という言葉が幻想的な響きを持つのに対して、現実にはひどく俗っぽい思い出しかないのは、それがいつも飲み会とセットだからかもしれない。

「あまー」

「う、うんうん。そうだね!」

「あまー」

「えっと、これ食べる?」

「あまー」

新入社員研修以来の真剣さで耳を傾けたけれど歯が立たず、困惑が勝った笑顔を里葎子さんに飛ばした。
その様子を見て里葎子さんは大笑いしながら通訳に入ってくれる。

「咲月、あれはニャンニャンじゃなくてワンワンだよ」

「あま?」

「そうそう、ワンワン! 上手ね!」

言葉が通じて満足したらしく、咲月ちゃんは握りしめてボロボロになったおにぎりにかぶりついた。

「全部『あ』と『ま』で表現するけど、本人は一生懸命話してるつもりなの」

「私の修行不足です……」

里葎子さんはもうすぐ2歳になる咲月ちゃんの言葉をほぼ正確に理解する。
文字にはできない微妙なニュアンスと状況でわかるらしい。

「あまー(ママ)」

「はい、なあに?」

とか、

「あまー(いただきます)」

「はい、召し上がれ」

のように。
それでも他の子の言葉はわからないというから、コミュニケーションとは言葉以外のもので行われているんだなー、と思う。

観桜会は毎年四月の第四週に行われている。
日にちが明確でないのは、第四週の天気予報を見て前の週に決められるからだ。
だから週末というわけにもいかず、今年なんて月曜日に、市内ではそこそこ大きくて〈さくら祭り〉を開催している公園まで徒歩でやってきた。

「子どもの成長って早いですねー。去年は里葎子さんに抱っこされてミルク飲んでたのに、今年はちゃんとお座りしておにぎり食べてるんだから」

「そうよね。親の私でもそう思うもの。他人の子の成長は尚更早いよね」

「あーあ。私が同じ毎日をぼーんやり過ごしてる間に、咲月ちゃんはどんどん大きくなってるんですね」

「私から見ると美夏ちゃんだって十分成長してるけどね。こっちは成長どころかエネルギー吸われてボロボロよ」

少しだけ荒れた手で里葎子さんはレジャーシートにこぼれたご飯つぶを拾う。
桜の花びら同様、ご飯つぶはひっきりなしに降ってきて、結果おにぎりの半分はティッシュに吸収された。

「私の場合、成長というよりただの慣れですから。退化しないように努力します」