もう少し猶予があるかと思っていたのに、帰り道からすでに雨粒がフロントガラスに落ち始めた。
ゆるめにワイパーをかけながら、黒く塗り替えられていく道路を走る。
アパートの駐車場に着いてからも、少しだけ降りるのを躊躇った。
この短時間に空はすっかり見えなくなり、糸のように細い雨が行く手を遮っている。

「うわー……」

私の溜息で雨雲はさらに厚みを増したように止む気配はなく、諦めるしかなさそうだった。
しぶしぶビニール袋を両手に提げて走り出すも、牛乳とウーロン茶の重さでスピードが上がらない。
けれど、数メートル走ったところでアパートの入り口に郵便バイクが停まっているのが見えた。
とたんに、走れなかったはずの脚がスピードを上げてエントランスに飛び込む。

「あ、ミナツさん。こんにちは」

カシャンカシャンとリズミカルに配達していた彼が、その手を止めて笑顔で振り返った。

「こんにちは。お疲れ様です」

いろいろな感情を押し殺し平静を装ったつもりだったけど、完全に声がうわずった。
まとわりついた雨でぐちゃぐちゃな身なりが気になっても、両手が塞がっていて直すこともできない。
それに気づいて、慌ててさっと下を向く。

「車なかったから、いないのかなって思ってました。あ、持ちますよ」

私の態度なんて気にした様子もなく、彼は牛乳とウーロン茶の入った重い方の袋を、迷いなく持ち去った。

「いえ! 大丈夫です! 自分で持てますよ!」

慌てた隙にもうひとつも。

「ついでですから」

どこか楽しげに、本人より先に部屋に向かう歩みは早く、私は小走りして追い付き鍵を開けなければならなかった。
ドアを押さえて待っていると、彼は室内に足を踏み入れないように慎重に、袋だけを玄関に置く。

「ありがとうございました」

「では、これで」

仕事の一環だったかのように変わらない笑顔で帰ろうとするから、つい引き留める。

「あ! ちょっと待って!」

と言っても用事なんてないので、とっさに無駄に買い込んだお菓子の中からミント味のチョコレートの小箱を取り出して突きつけた。

「これ、よかったら」

「え?」

荷物を持ってくれたお礼、という理由は弱いだろうか。
いつも何かをもらうばかりではなくて、この人に私からも何か渡したい、と思った。
本当はもっと別のものを渡したいけれどそれは無理だから、今の私にはミントチョコレートが精一杯。