事業所のある4階に着くと、真っ直ぐ自席に向かう伊東さんと別れてロッカーへ行く。
里葎子さんがちょうど支度を終えたところで鍵を締めながら振り返った。

「里葎子さん、おはようございまーす。今年度もよろしくお願いします!」

私より2歳年上の里葎子さんは、すでにご結婚されてお子さんもいる。
少し疲れた顔はしていても、プライドを込めたようにいつもキレイに手入れされたネイルが、鼠色のオフィスでは眩しい。

「おはよう、美夏ちゃん。こちらこそよろしく……髪、すごいよ?」

その美しいネイルが、私の後頭部に向けられた。
寝癖なんてないはずですよ?と疑い半分で示された場所を鏡で確認すると、後れ毛というには無理のある毛束がバサッと落ちていた。

「あ、本当だ」

一度ゴムをはずして、すっぴんの手でまとめ直す。

「嘘つくはずないでしょ。エイプリルフールは昨日だし」

「エイプリルフールにしては嘘が地味だと思いました」

「地味……『ツチノコ』は派手なの?」

里葎子さんが私の鼻先に突きつけてきた携帯画面には『今日の夕食はツチノコでーす!』というメッセージと写真が踊っている。
送信者は私。

「わかりやすいじゃないですか」

「ツチノコねー」

「おいしいツチノコでした」

「なんでアジの開きなの?」

「アジの開きってツチノコに似てませんか?」

里葎子さんは拡大した写真を、近づけたり遠ざけたりしながらまじまじと見つめる。
老眼の人みたいだなって思ったけれど、絶対怒るから言わなかった。

「言われてみれば見えなくもない、かな」

言葉とは裏腹に、まったく共感していない様子で携帯の画面をオフにする。

「今時『ツチノコ』なんて言ってるの、美夏ちゃんくらいじゃない?なんでそれを選ぶかなー?」

「『私、会社辞めました』って言ったらびっくりしますよね?」

「すぐ確認の電話するね」

「リアリティーのある嘘だと、迷惑かかるじゃないですか。嘘だとすぐにわかる嘘、っていうのが私のこだわりなんです」

「……やめたらいいのに」