「だって中道さんは俺のこと覚えてないのに、いきなり話しかけられたら怖いでしょう」

「……名前も知ってるんですね」

「当然です。『ナカミチミカ』さんでしょう?」

「残念! 『ナカミチミナツ』です」

『美夏』は特別な読み方をするわけではないけれど、なかなか一発では読んでもらえない。
彼も字を思い出す間少しだけ止まってから、深々と頭を下げた。

「失礼しました。郵便物で読み方まではわからないので」

「いえ、よくあることですから。それより、配達先の人の名前、全員覚えてるんですか?」

「そうですね。住所と名前と家族構成と生活サイクル。地区内なら把握できる範囲のことはだいたい」

「……すごい」

「仕事ですから。覚えてると誤配を防ぐことに繋がるので」

彼はふわっと目を細める。

「でも、ずっと『ミカ』さんだと思ってました。『ミナツ』さんかー」

ミナツさん、ミナツさん、と言い遊ぶみたいに何度も繰り返す。
読み方なんて、配達には必要ないのに。
必要のない情報を共有するということは、とても親近感が湧くものらしく、目の前の彼はもうただの「郵便物を持ってきてくれる人」には思えなくなっていた。

「今日もお仕事なんですね」

「書留とか速達とか、急ぎの郵便だけですけどね」

「それだと旅行なんて行けないですね」

「そんなことないですよ。休みがズレるだけですから。ミナツさんはこれからですか?」

「……いえ。たいした予定のない虚しい連休です」

「虚しくなんてないでしょう。お休みは休むものですから」

気を使った風でもなく、いたって真面目な顔で答えた。

「そう思います?」

「思います。それに、俺にとっては幸運でした」

「あ、そうですよね。再配達って面倒だし」

彼はどことなく曖昧に笑って、さりげなく時計を見た。
普通に話し込んでいたけれど、彼が仕事中だったことを思い出した。

「わざわざありがとうございました」

「いえ、ではこれで。ありがとうございました」

配達員さんの態度に戻ってペコリと頭を下げ、ヘルメットをかぶりながら急ぎ足で帰って行く。