「梓」

 キッチンに戻っていた碧惟が、梓の隣の席に腰掛けた。涙が滲んでしまっていたのか、親指で頬の上の方を拭ってくれる。

 それがくすぐったくて、梓は小さく笑い声を上げる。

「梓のこのほっぺたが、ずっとこうやって笑っていられるように」

 キョトンとすると、碧惟の親指は少し下がって、頬の真ん中をつついた。

「ここをおいしいものでいっぱいにするから」

 そう言って、名残惜しむように指を顎まで滑らせると、隠していた左手と一緒に何かを差し出した。

「俺と結婚してください」

 ガラスの小皿に載っていたのは、小さなクッキーの指輪だった。真っ白にアイシングでコーティングされ、アラザンがダイヤモンドのように輝いている。

「本物は今度用意するけど、最初のプレゼントは、出海碧惟特製のおいしい指輪だ。食べてくれるか?」

 梓はふるふると小刻みに首を振った。

「もったいなくて、食べられません!」

「そんなこと言うなよ」

 そう言いながら梓の左手を取り、クッキーの指輪を薬指に通す。

 こらえきれずに、梓の瞳から涙がこぼれだした。

「ああ、泣かせたくなかったんだけどな。ここ濡らさないって約束したかったのに」

 碧惟が梓の頬をぬぐう。

「わたしも泣きたくないけど、でも、嬉し涙だから、いいんです」

「そっか。そうだな」

 碧惟はまぶしそうに目を細めて、濡れた頬に口づけた。まるでそこに幸福がつまっているとでも言うように。

 くすぐったさに梓が顔を上げると、碧惟は唇でキスしてから、頬と頬をくっつけた。

 梓は薬指のクッキーを掲げる。

 少し力を込めれば崩れてしまいそうな、口に入れれば一瞬でなくなってしまうような指輪は甘く輝きながら身近にあって、つまりそれは幸せそのものだった。