「河合さん、ごめん。車に荷物を忘れたみたいなんだけど、取りに行ってもらえないかな?」

 食材を置いたテーブルを物色していた恭平に声を掛けられた。

「了解です!」

「ありがとう。これと同じ紙袋があるはずなんだ。中に、亜麻仁油が入ってる」

 車の鍵を預かり、駐車場に戻った。

 荷物はすぐに見つかり、またスタジオへ戻る。

(結構、重いな)

 中には、亜麻仁油の他に、トマト缶など重量のあるものが入っている。薄手の紙袋を揺らしていては破けてしまいそうで、梓は荷物を胸に抱えると、先を急いだ。

 亜麻仁油という言葉自体は、流行していたから聞いたことはあったが、梓にはどうやって使うのかわからない。食材を炒めたりする作業はすでに始まっていたから、おそらくこのオイルは仕上げに使うのだろう。

 レシピはザッと見せてもらったが、それだけで覚えきれるものでもなかった。どれに使うのか思い出せないが、すでに収録は2日目の分が終わろうとしていた。

(急がなくちゃ!)

 腕の中で安定しない荷物を抱えながら、梓は小走りになった。

 収録中のランプが消えていることを確認してから、そろりとスタジオの中に身を滑り込ませる。

 広いスタジオの中、明るく照らされているのは、テレビに映りこむセットだけだ。他は、対照的に薄暗い。

 まばゆいライトの下を見れば、主役の二人がいない。どうやら、カメラは止まっているらしい。

 この隙に届けてしまおうと走り出そうとして、足に何か引っ掛けた。

 見る間に床が近づいてくる。

「あ……っ!」

 咄嗟に、自分の体より荷物を守ろうと、紙袋をギュッと抱き締めた。

「あ……ぶねっ」

 頭から倒れそうになった梓を、後ろから誰かが抱きとめた。腰に腕を回され、グッと引き上げられる。

「何やってんだ!」

「す、すみませんっ!」

 碧惟だった。

 梓をしっかりと立たせると、怪我はないかと全身を見回す。

「大丈夫ですか?」

「ええ。うちのアシスタントが、すみません」

 駆け寄ってきてくれた周囲のスタッフに、碧惟が頭を下げる。

「すみません、大丈夫です」

 梓も続くと、スタッフたちは口々に良かったと言い、仕事に戻った。

「本当に大丈夫か?」

 うつむいたままの梓の顔を、碧惟がのぞき込む。

「……はい、すみません」

「ならいいけど、怪我するなよ。おまえは、走るの禁止。包丁も禁止!」

 碧惟の長い人差し指が、梓の額を突っつく。

「俺の顔、見ないのも禁止」

「……え?」

「これ、サンキュ」

 ようやく顔を上げた梓に不敵に笑い、碧惟は梓の荷物を奪う。

「先生、スタンバイお願いします!」

「はい」

 様子を見守っていたらしい恭平に荷物を渡し、碧惟は颯爽とセットに向かう。

 まばゆいライトの下に入った碧惟は、テレビで見る澄ました顔だった。湖春とスタッフが冗談を言いあっていても、ピクリとも笑わない。

(なんなの!?)

 梓は、碧惟に抱きとめられたウエストに、自分の手を這わす。

 細く見えるのにがっちりと鍛えられた力強い腕、梓を勢いよく抱き寄せてもびくともしない胸板、梓の頭が肩にも届かない長身。

 極めつけが、下からのぞき込む至近距離の素の笑顔。

 一緒に暮らしながらも、必要以上の接触はほとんどなかった碧惟との急接近に、梓は心臓が逸るのを止められなかった。