「あ、生徒さんがそう呼んでいたので、つい」

「いいよ、そう呼んでくれて。先生って柄じゃないけどね」

「お話も教え方もお上手で、先生って感じでした!」

「誰かさんがサボるから仕方なく」

「おい」

「生徒さんは、誰かさんを目当てに来ているはずなんだけど、放っておくと料理を始めるまで全然話さなかったりするから」

「お察しします」

「……」

 言い返さないところを見ると、碧惟にも自覚はあるらしい。

 それがクールなイメージ通りで、いい面もあるのだが、一緒に仕事をする恭平は大変だろう。

「恭平先生、ご迷惑でなければ、ご結婚のことをお聞きしてもいいですか?」

「まだしてないけどね」

「そういう話がベストです!」

「のろけなら、俺のいないところでやってくれ」

「それなら、お言葉に甘えて、今日は帰らせてもらうよ。また、明日な」

「おう」

 帰り支度を済ませて玄関に向かう恭平を見送りがてら、梓は恭平の恋人について聞かせてもらった。

 交際して2年。同棲を始めてから3ヶ月。それまでは、やっぱり碧惟と一緒に住んでいたらしい。

「河合さんが、今使っている部屋にいたんだよ。女性っぽい部屋で、変に思わなかった? 以前は、碧惟のお母さんが事務所に使っていた部屋だからね」

「お母さんって、出海翠さんですよね」

 碧惟よりも著名な人気料理研究家だ。今でもテレビや雑誌によく出ているし、本は何十冊と出している。

「そう。翠先生は自宅で仕事をすることになって、代わりに碧惟がここを使うようになったんだ。101号室が売りに出たのを機に、住まいも移してね。ちなみに、父親はホテルの総料理長。料理人一家だよね」

 その辺りのことは、情報として梓も知っていた。

(直接、家族の話を聞いたことは、まだないけど)

 一緒に住み始めたと言っても、まだまだお互いのことはよく知らない。

「どうして先生は、結婚願望がないんでしょう?」

「今どき珍しくないことだと思うけど」

「恭平さんのような身近な方がご結婚されるのに」

「うーん、俺があいつにそんなに影響を与えるとは思えないからなぁ。じゃあ、また」

「はい、お疲れさまでした」

 恭平は笑って帰っていったが、梓にはそうは思えなかった。

 朝寝ぼけて恭平の名を呼ぶくらいだし、一人になって寂しがっていたのも、恭平との生活が楽しかったからだろう。

 誰かと暮らす楽しさを、碧惟は知っている。

(男友達じゃなくて、女でも楽しいって思ってもらえればいいのかな?)

 よく気がつき、碧惟の苦手な部分をフォローし、仕事もできる恭平の代わりになるのは、一筋縄ではいかなそうだが、梓なりにがんばってみるしかないだろう。