遊佐の脚が傷を負ったのは、忘れもしない二年前の九月。まだ残暑の厳しい頃だった。

 二人でいた時に事故に巻き込まれ、あたしを庇った遊佐は右脚を轢かれた。
 腱や筋の断裂は免れたものの、粉砕骨折による後遺症で歩くことは出来ても走れない。段差や階段の昇り降りも辛い負担がかかってしまう。

 日常生活にほとんど支障がないまで復帰するのに、遊佐がどれだけのリハビリを耐え抜いたか。あたしには想像するコトすら出来なかった。
 あたしだけはリハビリセンターに付き添うを絶対に赦してくれなかった。
 来たらオマエとはもう終わりにする。
 氷より冷たい目をして遊佐は言った。・・・あの気迫は本物だった。


 
 あの日は台風が近づいてて、夕方から雨が降り出した。
 前の会社は電車通勤だったから、傘を忘れたあたしは濡れるのが面倒に思えた。
 遊佐に迎えに来てもらい、車を停めた会社近くのパーキングまで二人で歩いてた。

 雨足も強く、パンプスを履いたストッキングの足許はびちょびちょ。傘を差して一方通行の路地をあたしが前、後ろに遊佐。
 暗い雨空。ひたすらビニール傘を打ち付ける鈍色の音。あたしは一瞬、気付くのが遅れた。かなりのスピードで走って来るワゴン車。
 危ないなぁ、もう。
 もっと端に避けないと傘が当たるかも。やり過ごそうと、振り返って立ち止まる。眩しさにくらむハイビームのヘッドライト。緩まないスピード。

『・・・宮子ッッ!!』

 遊佐の怒鳴り声が聴こえた。
 次の瞬間。背中に強い衝撃を受けて、ものすごい勢いで躰が前に飛んだ。
 何かがあたしを抑え込んで重く圧しかかり、雨が流れて水浸しの地面に叩きつけられた。
 心臓が、肺が、圧し潰されて苦しい。肩も腕も足も、痛くて動けない。
 やだ遊佐。死ンジャウ・・・ダレカ。タス、ケテ。


 その後のことは。記憶が曖昧だ。
 怪我は擦り傷と打ち身ぐらいで済んでた。遊佐が咄嗟にあたしを抱え込んでくれたお陰だった。 

 救急搬送された病院に警察が来てひき逃げだと聞かされた。犯人は数時間後に出頭して来て、『雨でよく見えなかった』と弁解したらしい。

 櫻秀会、一ツ橋組総本部、組長・臼井正成(うすい まさしげ)の一人娘だって身元が割れた時点で。交通課から別の課に捜査権が移ったのか、検査入院した三日の間に、人相の悪い刑事が事故に遭った状況を何度も訊きにやってきた。

 あたしにはどうでもいいコトだった。