僕たちが解放されたのは、日が沈む頃。
やけどと殴られた跡が残る体を引きずって笠原のもとへ寄る。
涙と血で濡れた彼女の頬を拭う。

「笠原、大丈夫?生きてる?」
「……いきてるよ」

間はあいたけど返事はちゃんとしてくれた。
そのことに安堵し、僕はボロボロの制服を彼女の体にかける。

「帰ろう。もう、誰もいないよ」

手を差し伸べれば、彼女はその手を握る。
小さく温かいその手を僕は見放そうとした。
いじめはよくない。
そんなこと今まさにいじめを受けている僕が一番わかっているのに、逃げ出そうとした。

怖かった。
怖かったから何も知らないふりをしようとした。
もし僕が早く助けていたら彼女はこんなボロボロにならなくてもよかったかもしれない。
何もできない、弱い僕。

ごめん、ごめん。

何度も心の中で謝った。
言葉にする勇気がない。
僕は本当の弱虫で最低な人間だ。

雨の中、傷ついた僕たちは歩く。
傘を広げて肩を並べた。

いつものように会話なんてできない。
話したいことがたくさんあるのに。

美味しいコロッケやが近所にできたこと。
子猫の里親が見つかったこと。
母親が笠原に会いたがっていたこと。
たくさんあるのに、言葉が喉の奥につっかえる。

沈黙が耳元で騒いでうるさい。

本当にいいたいことはいつだって声にならない。

「宮下君、ばいばい」

いつの間に彼女の家の近くに着いていた。
はっと顔を上げると、笑う笠原。
痛々しいその顔。
本当の心を隠す彼女に僕は泣きそうになってしまう。

弱音吐いちゃいなよ。
我儘言ったっていいんだよ。
めげたっていいんだよ。
泣くことは弱いことじゃない。
本当の心をみせてよ。
泣いても大丈夫だよ。
今度はちゃんと抱きしめてあげるから。










そう言えたらどれだけよかっただろう。

ぱしゃん、と水たまりの上を跳ねる。
くるりと両手を広げて回る。
白い歯が眩しい。
眩しすぎて俺は目を細めた。

腕がちぎれるんじゃないかっていうくらい大きく振って、白い歯を満面に見せて「バイバイ」と手を振る彼女。
僕ははそれを見ていることしかできなかった。

「ばいばい。また、明日」

小さく手を振って。
何度も振り返って。

痛い。
殴られた場所が、じゃない。
心、でもない。
心の中のもっと奥、深い、場所。

姿が見えなくなるまで僕は手を振った。
振り続けた。











次の日笠原は、僕の前からいなくなった。












学校へ行ったら笠原は登校してこなかった。
時間になっても登校してこない笠原に僕の胸の内は騒がしくなる。
周りの生徒はくすくすと笑っている。
なにがそんなにおもしろいのか。
言い知れぬ不安を抱いたまま、傷む心の奥底を落ち着かせる。
教室の扉が開き担任が入ってくる。
真剣な顔にクラスは静まり返った。

担任は静かに言った。
笠原は東京に転校したと。

ざわつく教室。
その大半は面白がる聲たち。

僕はその中で、ただショックから抜け出せずにいた。
そんな話、聞いていない。
でも、そうか。
そう、だよな。
こんな辛い場所に無理している必要はないんだ。
だけど、一言くらい言ってくれてもよかったのではないだろうか。

転校はやはりいじめが原因だった。
その前からいじめを受けていると感じていた笠原の両親は転校を視野に入れていたようだった。
そして昨日の彼女の姿を見て決断したらしい。

「逃げたんじゃん」
「つうか転校かよ」
「いっそのこと死ねばよかったのに」

人一人傷つけておいて、転校までさせて、よくそんなことが言えるなと思った。
先生を見ると、申し訳なさそうに僕を見ている。
僕のこの姿をみて何も思わないのか。
何も言わないのか。
いじめが原因だとわかった今、どうして先生はこいつらに説教や制裁を加えないのか。

どうせ世の中そういう風にできているんだ。
僕は静かに席を立った。
カバンをもって教室を後にする。
後ろから先生の声が聞こえたけど、無視をした。
僕たちの言葉は聞かなかったのに、どうして僕たちが人の話を聞かなくてはいけないのかわからなかった。

外はとても晴れていて眩しくて目を細めた。
持ってきた大きめの傘をさして歩きはじめる。

隣に笠原がいない、という事実をより実感してしまった。
それが嫌ですぐに傘を閉じた。

近所にできた美味しいコロッケ屋。
お腹は空いていたけど食べる気にはならない。

いつも遊んでいる赤色タイル発見。
赤色だけ踏んでみたけどつまらなくてやめた。

マンホールの上に立った。
くるりくるくると回ってみたけど彼女の笑い声は聞こえない。

必死に抑えていたものが一気に溢れ出す。
僕は傘を投げ捨てた。
その場で声を出して泣いた。
大粒の涙が頬を伝うのがわかる。
ここに、この場所に、僕の隣に、君がいないってだけで、どうしてこんなにも景色が滲んで見えるのだろう。

僕、ずっと泣き続けた。
子供のように、ずっとずっと。