昔々、帝を中心として国が治められていた頃。

帝のほか、右大臣、左大臣等、有力大臣を筆頭に政治が行われていました。
それすなわち、帝に近い、それら重き役職に就くことで政治的権力を手にすることが出来るということです。帝の側にて重役を賜る、その最短の方法として自身の娘を帝の妃とすることを考えた各貴族たちは、家に姫が生まれると、どの家よりも帝に相応しい姫にすべく蝶よ華よと育て、隙あらば「是非帝の妃へ」と娘の存在を進言しておりました。


このような水面下の争いの最中、貴族たちの権力誇示に疲れたある貴族は、帝のいる宮から少し離れた城下の村で、ひっそりと暮らす道を選びました。




こうして貴族ながらに静かに生を受けたのが、後に「土被り姫」と呼ばれる姫、さく姫様でありました。

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