「本当に会えるとは思わなかった。生きてたんだ。あれから半年以上? あの時に始末されたと皆思ってるよ。灰が散ったって。だから…、だけどそれは雪だったのかな」

 突然肩を掴まれて、陽弥は店の隙間の暗い道へと連れ込まれた。10月の夕暮れともなると、日陰に入ればぐっと気温が下がる。途端に肌寒く感じた陽弥は、ブルゾンのポケットに両手を突っ込み、猫背となった。

 森南陽弥。21歳。身長167センチ。色白。光が当たると明るく見える程度の、僅かにカラーリングした髪は、前髪を右分けしている。形の整った凛々しい眉毛。二重瞼の大きな瞳。口角の上がった唇。フランス人との混血女性にも見える顔立ちをしている。服装は女性の顔が白くプリントされた黒いTシャツに、ベージュのパーカブルゾン、デニムにはウォレットチェーンを付けて、ナイキの黒いエナメル、エアフォースⅠを履いている。

 陽弥を呼び止めた相手は、身長175センチの痩身だが筋肉質な体型。ボタンの止めていない、白いヘンリーネックのTシャツの胸元から、胸筋が形良く現れている。その上に迷彩のワッフルパーカを着てベージュのパラシュートパンツに、黒い編み上げブーツといった服装。艶のある栗色の髪と、小麦色の肌をして、左耳にはゴールドのピアスが小刻みに揺れている。身長の割には顔が小さく、くっきりとした二重の瞳に大きな黒目は、惹き付けられる程ど澄んでいた。

 それは陽弥の知らない人物だった。陽弥は突如現れたこの人物が、何を目的として自分に近づいたのか見定めようと、相手を凝視した。

 なんだコイツ唐突に? 高校生か? オレより年下っぽい。ジャニーズ系だけど無愛想ってか、無表情だ。

 じりじりと後退りをしながら、陽弥は相手と微妙な距離をとった。陽弥が不審に思っていることなど構わずに、その栗毛はボトムのポケットに親指を引っ掛けて、横柄な態度で話を続けている。

「i283たちがこの辺りで、a2を見かけたって話をしてたのを耳にしたんだ。だから自分も会えるかもしれないと思って。ここ最近探してたんだよ」

 a2。その言葉に聞き覚えがあった。

 先週もここから少し離れた場所で、そう声を掛けられていた。

『a2! a2じゃないか!』

 陽弥よりいくらか年上に思えるその人物は、驚いた顔をして、陽弥の両肩を掴んだ。その空気は異様な感じがした。

『あの…人違いですよ』

 そう言って、陽弥はその人物から逃げるようにして去ったのだ。 

 この栗毛はあの人に聞いて、ここに来たのかな? a2ってのはそんなにオレに似てるのか? 

 DM

 祐希の電話 

 先週のあの人物

 a2

 瞬時に複数の事が頭に浮かんで、陽弥は体が異空間に吸い込まれて行くようなそんな感覚に襲われた。恐くなって、自分で自分の体を抱きしめた。

「a2ってあだ名? そんなに似てる? オレ」

 その言葉に、栗毛は気持ちを探るようにして、陽弥の眼をじっと見た。相手の眼力に陽弥は念わず、ぐっと息を止める。

「……a2?」

 そう呼ばれる事に嫌気がさしていた陽弥は呆れた口調で、

「誰が誰を見かけたか知らないけど、オレとは関係ないから。他でやって」

 と言い放った。

「どういう事? 関係無いって何でだよ? あんな騒ぎを起こしておいて、どうしてそんな事言える訳? 無責任だよ! あの時、自分はまだ訓練生で、捜査には参加してなかったけど、何があったかは教育係から聞いて知ってるよ。始めは信じられなかったけど…、本部にa2の姿が見えない事に、これは現実なんだって…、受け入れるしかないって……。どうしてあんな事したんだよ? なんで逃亡なんて……っ」 

 栗毛の顔が徐々に険しくなり、声も強まっていった。

「ちょっと待った!」

 陽弥は相手に掌を向けて、話を制止した。

「盛り上がってるとこを悪いけど、オレ、本当に関係ないから。そのa2?ってのと違うし。あんたの事も知らないし」

「…それは、自分はディスポウザーになったばかりで、a2とはまともに対面した事が無いから……a2じゃない? 今、a2じゃないって言った? それって…もしかして…記憶喪失とか? それともそれを演じてる? 一体どうしちゃったんだよ、いつも冷静沈着で、冴えた眼をしてて、与えられた指令は直ぐに熟す優等生で、何時も張り詰めた空気を漂わせてカッコ良かった。それが今のあんたはどうだ? 装いも言葉遣いさえも変わってしまって。あの頃の秀麗さは何処にも無い。まるで別人のようだ」

 当たり前だろ。全くの別人なんだから。

「ちょっとショックだよ。いや、正直かなりショック。a2に憧れてたから。あんたみたいにカッコ良いディスポウザーを目指してたから。なのに……」

 栗毛は話を途切らせると視線を伏せた。その長い睫毛に、陽弥は視線を止めた。相手はまた真っ直ぐに視線を陽弥へと戻す。その眼には、何処か哀しみの光が孕んで見えた。

「J168の事も忘れた?」

 また暗号めいた言葉を発する。陽弥にはそれが何の事か、全く見当が付かない。

「………」

 答えない陽弥に、意を決したように、

「こんな所で立ち話しても仕方ない。本当に記憶喪失だとしても、そうでないにしても、このまま見逃す訳にはいかないから。とにかく本部へ行こう」

 そう言って、陽弥の腕を掴んで連れて行こうとした。

「ちょっと待ってって!」

 陽弥は焦って、相手の手を振り払った。

「あんた人違いしてんだよ。オレはそのa2ってんじゃないし、記憶喪失でもないよ! 勝手に人違いしてどっかに連れて行くなよ」

 だけど栗毛は思い込みが強く、陽弥の話に耳を貸さない。陽弥の手首を強く掴むと、

「逃がさない。人違いかどうか本部に行けばはっきりするよ」

 言って、強引に裏へと連れて行こうとする。

「ふざけんなっ!」

 陽弥はその手を外そうと、何度も強く腕を引きながら、周りを見渡した。暗くて細い通路に入っていた為、誰も二人の事に気づかない。陽弥は助けを求めようと、デニムの後ろポケットから携帯電話を取り出した。だがそれは直ぐに、栗毛に取り上げられてしまう。栗毛は抵抗する陽弥の両腕を掴んで離さない。小柄な陽弥は時折引き摺られながらも、相手から逃げようと踏ん張っている。

 可愛い顔に似合わず凄い力だ。身長差があるし、オレには分が悪い。

「a2にはあの時の事を説明する責任があると思うよ。それにきちんと制裁されるべきだ」

「違う! オレは森南陽弥だっ!」

 大声で叫んだ。

 とその時、栗毛は背後から口を塞がれて仰け反り、後頭部の辺りを殴られると、大きく前に体を折って、そのまま膝から倒れていった。

 傍には身長170センチの、黒い帽子に黒いシワ加工のシャツ、左膝の破けたブラックデニム、黒いレザーのハイカットスニーカーといった装いの人物が立っていた。栗毛を挟んで、陽弥とその帽子を被った人物が立ち、横たわる栗毛を見下ろしていた。

 一瞬、何が起こったのか、状況が呑み込めなかった。

 無理矢理連れて行かれるオレを見て、栗毛から俺を助けてくれたのか? それにしても、いつ近づいて来たのか、全く気配に気づかなかった。とにかく、お礼を言わなきゃ。

「あ、…どう……」

 相手の顔を見て、陽弥の言葉が止まった。

 答えが見えた気がした。鍔の深い帽子で目元が隠れているが判る。同じ顔だ…。

 陽弥は驚いて動きを止めた。そんな陽弥には構わず、帽子は陽弥の口に手を押し当てて強引に何かを口の中に入れた。

 …カプセル?

 考える間も与えず、帽子は陽弥の顎を掴んで、ペットボトルの水を流し込む。

 ケホッ…! コホッ、コホッッ…

 陽弥は口元に拳を当てて、もう片方の手で胸を叩いた。自分の意思を無視して、強制的に飲まされた為、咽て咳き込む。

「何を…?」

「毒じゃない」

「は?」

 帽子は落ちていた携帯電話を拾って陽弥に渡した。

「帰ったほうがいい。送ろう」

「………」

 こいつも挨拶無しで話を進めるタイプか…。

 陽弥は栗毛に掴まれていた腕を擦りながら、眉を顰めて帽子を見つめた。

「裏に車を止めてある。手伝ってくれ」

 そう言って帽子は、気を失っている栗毛の体を起こす。

「連れて行くのかよ?」

「見つけた者が事件だと騒いだら困る」

 …こいつも仲間? ってか、オレは連れて行かれそうになったんだから、既に事件なんじゃね? こいつを信用して大丈夫なのか? 

 帽子は栗毛の両腕を掴んで、担ごうとしていた。

「手を貸せ」

 気は進まなかったが、陽弥は手を貸して、帽子に栗毛を背負わせた。

 道を抜けて裏に出ると、紺色の軽自動車のワゴンが止めてあった。その後部座席に栗毛を寝かせる。すると帽子はとんでもない行動をし始めた。

 白いビニールの買い物袋の中から粘着テープを取り出すと、栗毛の両腕を後ろに回し、手首から指まで、その粘着テープでぐるぐると巻いた。次に両足を曲げて揃えると、その膝下から足首までをまたテープで巻く。そしてアイマスクを出してそれで目隠しをした。

 その様子をドアから少し離れた所で突っ立って見ていた陽弥。こんな所を誰かに見られでもしたらと、陽弥はドキドキしながら周りを見回した。だが表通りと違って、裏に入ると、扉の閉まった小さな事務所らしき建物が並んでおり、辺りは静まり返っていて、幸いにも人影は見当たらなかった。いたとしても日が暮れてこの薄暗い中では、車の中で何をしているかまでは、相当近寄らなければ判らないだろう。

 帽子は栗毛の体のあちこちを触っている。ボトムのポケットやベルト、靴を脱がせたり、果てにはピアスまで入念に調べる。

 それが終わると、袋から紙に包んだ物を出した。それを開くと、予め用意したのか、オブラートに包んだ白い粉末が現れる。片手で栗毛の両頬を掴んで口を尖らせると、顎を押さえて口を開ける。そしてオブラートに包んだ粉末をそこへ押し込んだ。すると帽子はペットボトルの水を口に含んでから、片手で栗毛の頭を抱え、さっきと同じように、もう片方の手で顎を押さえると、栗毛に顔を近づけた。

 陽弥の位置からは見えないが、手順からして恐らく…。と考えを巡らせていると、栗毛の口に粘着テープを貼って、帽子は口を拭いながら車内から出て来た。

「………」

 陽弥は動揺しながらも、帽子の潤いのある唇を見つめた。

 そして、はっ、と我に返る。

 あれは一体なんだろう? さっきオレが飲まされた物とは違う。

 『毒じゃない』帽子の言葉が、頭の中で繰り返された。

「行こう」

 帽子はドアを閉めて運転席へと回った。それにしても手際が良い。それに顔色一つ変えない。

 こういう事に慣れた者なのか? そういえばさっき、本部とか…始末とか、生きてたとか、言ってなかった? もしかして…その道の人間? この若さで? いや、ああいう所は年齢とか関係無いのかな…? もしかしてオレ、すげぇ事に巻き込まれてんじゃねぇか? いや、もしかしなくても、この状況じゃそうだろう! 本当にこのまま車に乗っても大丈夫なのか? 

 今頃になって状況を把握してきた陽弥は、恐怖で膝が僅かに震え出す。

「早くしろ」

 その声に心臓がビクンッ! と反応する。

「………」

 『毒じゃない』また頭の中に声が響く。逃げたら撃たれる?

 心臓がトクトクと速く脈打つ。

 結局、逆らう事は出来ずに、言われた通り、陽弥は助手席へと乗るしかなかった。乗る時にチラッと横目で後部座席を見たが、その光景は映画で目にする人質を思わせた。陽弥はまるで、自分が犯罪者にでもなったかのような、罪悪感を抱いた。