確かに私は、こいつから逃げ果(おお)せる体力はない。
単純に足の速さでは負けるだろう。
これだけ痛めつけられれば、精神的にも追い詰められてしまう。悪意を昇華したような「殺意」に、身が竦(すく)むのも事実だ。体が強張って言うことをきかない。
でも__。
唯一、この振り下ろされる悪意から逃れる術がある。
いや、逃れる必要はない。
逃げなくてもいいんだ。
こいつを、失格にしてしまえば。
「俺も疲れてきたから、1発で仕留めてやるよ」
そう言って、裕貴がバトンを強く握りしめた。
その距離、わずか30センチ。
裕貴は逆走してきた。
つまり、私との差を広げるのではなく、縮めたことになる。
今、私がこいつを追い越すことができれば、その時点で「周回遅れ」となり、戸田裕貴は失格となる。
背を向けて逃げるんじゃない。
たった30センチを私が追い抜けば、逆に始末することができる。
私が弱っていると思い込み、頭に血が上っている今がチャンスだ。
だから私は、ジッと痛みを受け入れ、やり過ごし、その「時」を待っていた。
裕貴がバトンを振り上げる。
その「時」がやってきた。
私は勢いよく立ち上がり、裕貴の脇をすり抜けようと飛び出した__。



