車の整備士をしているお父さん。

元看護師で専業主婦のお母さん。

1つ上のお兄ちゃん。

2つ下の弟。

そして私の5人家族で団地に住んでいました。




私が小2までは本当に幸せで楽しい家族でした。

小3になったある日授業中、学校の付近で救急車の音が鳴り響いていた。

"だれだろうな?団地の人かな?どうしたんだろ"
と思いっていた。

授業が終わって友達と話していた。

先生が来て"お父さんが帰り迎えに来るから待ってね"と言われた。

"なんで迎えに来るんだろう?"私は不思議で仕方がなかった。

何故ならお父さんの休みの日では無かったからだ。

学校が終わってお父さんが迎えに来て車に乗った。

お父さんが驚くような事を言ってきた。

"お母さんさっきお家で倒れて救急車で運ばれて入院する"

私は朝まであんなに元気でいたお母さんに何があったんだと戸惑った。

そんな事を考えてる間に病院についた。

お母さんは点滴などをしながら眠っていた。

それよりびっくりしたのは坊主になっていた事。

おばあちゃんが来た。

お母さんが小さい頃に脳の病気になった事を聞いた。

脳の病気だから完治はできなかったらしい。

でも、ここ何年もなんともなかったよね?

なんでなんで混乱しかなかった。

次の日もお見舞いに行った。

お母さんは起きていた。でも話せる状況ではない。

言語障害だ。

それでも、ニコニコしていた。

涙がこぼれた。

お母さんがこっち来てと手の動作をしていた。

私はお母さんの所に行った。

喋れないから手を握ってくれたり頭を撫でてくれた。

嬉しかった。

すぐ、面会時間は終わってしまった。

退院するまでできるだけ毎日お見舞いに行った。

だんだん、喋れるようになって退院した。

その日はお母さんと沢山お話した。

寝る時も隣で寝たかった。でもお兄ちゃんと弟が隣で寝ていた。

まぁ、明日こそ隣で寝るぞ。

それから、3ヶ月たったくらいだった。

また、お母さんが倒れたと聞いた。

今回は脳出血して危ない状況だったと聞いた。

手術をして集中治療室にいる。

2週間後位に一般病棟に移ってお母さんに会えた。

右手足麻痺していて言語障害もあった。

まるでお母さんじゃないみたいだった。

最初は受け入れられなかった。

でも、何回もお見舞いに行くうちに何も変わらないお母さんだと思った。

それから4ヶ月後お母さんはリハビリを重ね退院できた。

週1のリハビリに通うようになった。

その頃からだ私の家族が壊れ始めたのは。

週1回しか休みがない仕事で忙しいお父さんも疲れてたんだと思う。

その休みの日にお母さんのリハビリで病院に、行く。

よくちょっとした口喧嘩していた。

私が4年生になったある日朝おきたらお母さんが居なかった。

どこに行ったんだろう。

メールも電話も何回もしたでも連絡がつかない。

不安でパニックになった。

学校を休んで探したりした。

お父さんにも言ったが"大丈夫でしょ"といわれた。

"なんでそんなに冷めてるの?連絡つかないし、障害者だよ?心配じゃないの"

その日の夜おばあちゃんから電話がありおばあちゃん家の近くの病院に行った。

お母さんは点滴をして寝てた。疲労らしい。

"おばあちゃんにバスに乗ってきたって言ってたよ。"と言われた

おばあちゃん家まで4時間もかかる。疲れたんだね。

"死のうか迷ってるって電話きたからお家に帰ってきなって言ったの"と言われた。

そんなに思い詰めてたんだなって思った。

次の日退院したと聞いた。

でもお母さんは帰ってこなかった。

1年たっても帰ってこなかった。

小5の頃。

私はお母さんがいるおばあちゃん家で暮らしたいと言った。

それをお父さんが許してくれておばあちゃん家に私だけ引っ越した。