コーヒーを淹れていると佐野主任が後ろから腕を回した。
 こういうことを普通にしてくる佐野主任は未だに慣れない。

「コーヒーこぼれます。」

「いいから。」

「よくないです。」

「少しは甘えさせろよ。」

 隆弘と会うことに何か咎めるようなことは言ってこない。
 ただ、会うことを報告した後はなんだか甘えた感じになるから、そこは少し新鮮だった。

「元彼と会った後は迎えに行っていい?」

 まだ回した腕を離さない佐野主任にこちらが苦笑する。

「元彼じゃないですってば。」

「はいはい。友達になったんだろ?」

 そう思えたのは佐野主任のお陰なのに。
 なんだか悔しいから言ったりはしないんだけど。

「私もいかがわしいお店に行った時は迎えに行っていいですか?」

「は?………だからもう行ってないって。」

 肩に力なく頭を乗せてうなだれる佐野主任に笑えてしまう。

「だって井村くんを連れて行こうとしたんでしょ?」

 意地悪く指摘するとますます力が抜けたような声で訴えられた。

「だから井村は吉原と話したいから話題作りのため。」

 本当かな。

「信じてないだろ。」

 ふてくされた声にふふっと笑う。

「俺はずっと黒谷だけだって言ってるだろ?
 黒谷が振り向いてくれたらって。
 いつになったら振り向いてくれるんだ。」

 ここは佐野主任のマンション。
 翔子の結婚式の時も車を停めていたのはマンションの駐車場だった。

 お茶でも飲まないかと自分のマンションに連れて行くなんて、どこまで遊んでいたんだか。

 それでもあれ以来、キスしていない。

 過度なスキンシップはあるものの、まだ返事をもらっていないと思っているらしく律儀に待っているらしかった。

 あの時は了承も得ずにあんなに何度もしたくせに。

 やっぱり相当遊んでて……。

「黒谷じゃなきゃマンションになんて連れてこないよ。」

 心を読んだような台詞にギクリとする。

「どうして分かりました?」

「本気で女連れ込んでたと思われてたのか。
 俺への失礼なイメージも書き換えろ。」

「だって……。」

「黒谷だけだ。」

 真っ直ぐな声に戸惑って黙っていると回していた腕を外して、途中だったコーヒーを淹れてくれた。
 それをテーブルに運ぼうしている佐野主任の腕をつかむ。

「信じさせてくれたら……同僚から恋人に書き換えます。」

 ハハッと乾いた笑いをこぼした佐野主任が手にしていたコーヒーカップを置いた。
 そして空いた手を差し出す。

「俺、佐野広晃35歳。
 黒谷朋花さん。
 結婚を前提にお付き合いしてください。」

 混じり気のない真っ直ぐな瞳。

 気圧されそうになりながら差し出された手をそっと握った。

「…………はい。
 信じさせてくださいよ?」

「分かってる。」