無言で歩くアパートとは反対の道。
 隆弘がいてアパートの方には行きたくなかった。

 どうしてあそこにいたの?
 それに朋花って呼び捨てで……佐野主任を威嚇するため?
 だいたい恋人なわけじゃないのに……。

「なぁ。ちょっと止まりなよ。」

 ハッと顔を上げると佐野主任は困った表情だった。

「ごめんなさい。
 ちょっと気が動転してて。」

「さっきのが元彼?
 かなり黒谷のことに執着してそうだったけど、振ったのは黒谷から?」

 首を力なく横に振る。
 佐野主任なんてとんだとばっちりだ。

「だよな。
 振ってたら未練なんて普通はないよな。」

 佐野主任には話してないけど記憶を無くしてるはずで、それであんな風に恋人面されても……。

 もう一度、友達からとは思っていたけど。
 嬉しいよりも戸惑いの方が大きい自分にも驚いていた。

 付き合おうと言われた時と同じ戸惑い。

「ちゃんと話して来た方がいいんじゃないのか?
 俺は黒谷のこと待ってるよ。」

 見上げる瞳が揺れる。
 待ってるって……だって……。

 見上げた先の佐野主任はいつもの佐野主任で、変わらずに茶化して明るい声を掛けてくれる。

「あ、気持ち的にな。
 ここで待ってられるほど大人じゃないから。」

 苦笑した佐野主任は頭をポンポンとして「後悔しない答えを出せよ」と言った。

 後悔……しない答え……。

 俯いていく頭に変わらない佐野主任の声が降ってきた。

「あぁ。それから。
 黒谷は俺のこと庇ってくれたけど、下心が無かったわけじゃないよ。」

 え?と顔を上げると、驚く隙もないくらいにすぐ近くに顔があった。
 そしてそのまま優しく唇を奪われた。

「これは迷惑料と俺のこと考えさせるための狡い手段かな?」

 え……なっ………。

 顔がどんどん赤くなっていくのに「ほら。行きな。元彼あのまま動けてないと思うから」と体を回転させられて来た道を戻るように背中を押される。

 何か言いたいのに言えないまま来た道を歩き出した。