月が綺麗ですね

そんな副社長の姿を見つめていたら、ものすごい勢いで記憶がさかのぼった。

『自己紹介は時間の無駄だ』

とかいきなり言われてしまったし、ここへ来た時だって一度も目を合わせようとしない。


もしかしたら、私って歓迎されていない?

困惑しながらも、黙って副社長の仕事が終わるのを待つしかない。

それが秘書の仕事らしいから...。



ふと窓に視線を向ければ、灯りがあちこちでともり始めていた。

今日の街の灯はなんだか切なく見えるなぁ。

営業三課だったら、課長が『これでみんなの夜食を買ってきて』ってお金をくれて、後輩と『今日は何にする~』『新しくできたおにぎり屋さんがいいですね』なんて会話してる頃なのに。


「ブラインドを降ろしてくれ」

いちオクターブ下がった声が私の思考に突き刺さる。


「気づかずに申し訳ありません」

ぼんやりとしていたことに恥じ入ると、慌てて私は窓際に進む。



それでも忙しくパソコンを叩く指は止まらない。

私を呼んだ理由が全く分からないまま、時間だけが過ぎてゆく。



それからどれくらいの時間が経っただろう?この部屋だけは時間の流れが遅いようだ。
1分が10分に感じる。ってことは楽しくはないわけで...非常に居心地が悪い。


「よし」の声とエンターキーを叩く仕草をすると、副社長はようやく私に視線を向けた。