月が綺麗ですね

「しばらく休んでいると俺の体調は少しずつ回復していった」

「...そうでしたね」

「去り際にお前はミネラルウォーターを俺に握らせて飛びきりの笑顔で、『無理しないでくださいね』そう言って仕事に戻った」


記憶の糸をたぐるように副社長は目を閉じた。


「休憩時間を俺のために、いや見ず知らずの男に付き添ってくれたお前の気持ちが嬉しかった。そして俺はあの時のお前の笑顔が忘れられなかった」


見ず知らずって...わざわざ言い換えてまでして、ここで正確を期すことないと思うんですけど...。

副社長って気づかなかったこと、根に持ってるのかな?


肩身の狭い思いで私は体を更に縮こませた。

けれど昔を懐かしむほど歳は取っていないのに、こうして話していると妙にあの時のことが懐かしい。当事者同士だからだろうか。


「俺はお前がウチの社員であることにすぐに気づいた。それからしばらくお前の仕事ぶりを見ていたんだ」

「そうだったんですか」

「俺は大奥を良しとは思っていなかったから、自分の権限でお前を秘書室に異動させることに抵抗があった」


彼は一度言葉を切ると、ビールを口に含んだ。


「俺はチャンスがあればお前の前に姿を現わしていたにも関わらず、お前ときたら俺の存在に全く気づきもしなかった」

「...うそ?」

驚いたように私は目をしばたかせた。