「あんた、美依ちゃんのことなんて呼んでたの?」
 テンポよくカクテルを口に運んでいた中村は既に二杯目を頼んでいて、ほろ酔いだからか上機嫌に聞いてくる。
「美依」
「逆になんて呼ばれてたの?」
「……朔夜くん」
「ぶはっ」
「笑うなよ」
 あ~~絶対馬鹿にされると思ってたから言いたくなかったのに。自分でも分かってるよ。くん付けなんて柄じゃないって。
「ひ~、涙出るぐらい面白いわ。……なるほどねぇ。とりあえず天下のモテ男の天海を振る美依ちゃんが只者ではないってことは分かった。そんで? 振られた理由は?」
 こっちが本題だよ、と俺にしっかり体を向けて本気で問いただしにきている。
でも、残念ながら何も返せそうにないんだ。
「分からない」
「は?」
「今でもずっと、それだけが分からない」
……あの時、美依はひたすら「ごめんなさい」と口にしていた。当然納得はできなかったが、美依の苦しそうな表情を見て、理由を問い詰めることもできなくて、とにかくもう解放してあげたいとだけ思った。
「いいよ、別れよう」、美依の望んでいた言葉を伝えたはずなのに、更に顔を哀しげに歪めて走って去っていった彼女の後ろ姿が頭にこびりついている。
「……あんた、もう好きじゃないって嘘でしょ」
「いや、もう忘れることにしたんだ。美依と別れた後に付き合った人もいるし」
 まあ、すぐに別れたんだけど。
「ってか中村、油断してると次の案件、美依に掻っ攫れるぞ」
「はあ? なんであんたにそんなこと言われなきゃいけないのよ。大体、あんな顔だけの子になんか負けな……」
「それ以上言うと怒る」
 顔だけ? ふざけるな。美依の仕事も見てないくせになんでそんなことが言えるんだよ。
「もう怒ってるじゃない……。ごめん、天海がそんなに過大評価してるのが少し気に入らないだけよ」
 珍しく気落ちしている中村に、強く言いすぎたかと後悔した。
 でも、美依を"顔がいいから"を理由に悪い風に言われてしまうと、どうしても自分と重ねてしまうんだ。少なくとも、美依も顔のせいで嫌な経験をしてきているのを知っている身からするとつい否定するのに力んでしまう。
「はあ……顔なら中村だって悪くないだろ。美人だーって、社内でも言われてるし」
「えっ、ほんと?」
「こんなことで嘘なんてつかねえよ」
 目をぱちくりさせて驚いている中村が可笑しくて笑えてくる。自覚なかったんだな。
 美依とはタイプが違うが、中村もかなりの美人だ。少しワガママなところなんかも、そういう子が好きな奴にはとったら最高だと思う。
「……たは?」
「ん?」
「あんたは、どう思うの……?」
 酒によって赤らんだ頬と潤んだ瞳に見上げられ、一瞬クラッと理性が飛びそうになった。
 ……これでオチない男っているのか? 俺なんかと飲んでないで他の脈ありそうな奴と行けば彼氏なんてすぐできるだろうに。
「俺? そりゃ美人だなって思ってるけど」
 思っているままに伝えると、絶句しているのか一言も発しない中村。
「おい、中村! 酔いすぎた? もう帰るか?」
 心配して顔を覗き込むと、さっきよりも顔を赤くさせた中村が泣いていてギョッとした。
 顔が赤いのは酔いのせいなのか、はたまた別のことなのか。
「ごめん、もしかしてセクハラだった? 気持ち悪かったよな、もう言わないから」
「ち、違うよ! ただ……嬉しかっただけだから」
俯かせた顔を上げた中村の瞳からハラハラと止まることなく涙が流れ落ちる。それを見て、ただ美しいと思った。
「そうか……嫌じゃなかったのなら良かった。つか、そんな泣くほどかよ」
 呆れて言えば、「そうだよね、ごめん」と素直に謝られて、普段との違いに調子が狂う。
「いや、俺も言い方が悪かったよな。……中村、次の案も楽しみにしてる。俺も今回はお前のライバルだけどな」
 泣かせてしまったのでなるべく優しく言うように心がける。
「あはは! 天海がそんなになるなんて。みっともないとこ晒した甲斐もあったかなぁ。でーも、あたしに変な遠慮はいらないよ」
 涙を拭いながら笑顔を見せた中村にホッとする。
「中村は笑った顔の方が可愛いな」
「……こっちの気も知らないで」
「なんか言った?」
「なんでもない!」
 何故かムキになって言い返してきた中村を不思議に思いながら、こっそり取っておいていた伝票を持って会計を済ます。
「あ! 今日はあたしが奢ろうと思ってたのに……!」
「珍しい中村が見れたから。これぐらいはしないとね」
「~~~っ! 次こそは奢られろ!」
 まだまだ騒ぎそうな中村を宥めながらドアを開く。「また来てね」とマスターのウインクに見送られて外に出ると、火照った身体に冷たい風が心地よかった。
 ふらふらと足元がおぼつかない中村に左腕を貸し、元来た道を思い出しながらネオンライトいっぱいの都会の隅っこを歩いた。