レコーディングもライブ活動もやめて半年。曲が一切書けなくなってからは一年。
マネージャーである木村さんは、これまで頑張ってくれたんだから少し休憩するくらいなんてことはない、と言ってくれるけれど、この状態がいつまでも続いてしまえばわたしは二度とプロのアーティストに戻れなくなってしまうだろう。

ストレートな思いを歌うシンガーソングライター。人気アーティストのナナセ。
誰もに望まれるその姿に戻るためには、今のままでいるわけにはいかない。曲が書けなくなった頃からずっとそう思っている。

けれど、いつまで経っても何ひとつ形にはできないまま一年も過ぎた。
久しぶりに馴染みのスタジオに入ってみれば何か変わるだろうかと思ってみても、時間と体力を使ってしまっただけで、歌いたい言葉はひとつも浮かばず、ツギハギのメロディーばかり何時間も弾いて終わった。
不毛な日々はまだ続く。今のところ、終わりは見えていない。

「んじゃ、おれも今日は直帰するかなあ」

木村さんが、スタジオの隅に転がっていたわたしの荷物を拾い上げた。

「ナナセもそのまま家?」
「そうですね。ちょっと疲れたんで、寄り道しないで帰ります」
「なら送って行くわ。車、近く停めてあるから乗ってけよ」
「いえ、今日はタクシー拾うから、大丈夫です」

ギターケースを持ち、使わなかったスピーカーの上に置いていたスタジオの鍵を手に取った。
一度室内を振り向いて、しんと静かな機材を眺めた。また当分ここへは来なくるなるのだろう。そう思いながら、重く分厚いドアを閉めた。

そのとき、電子音が短く鳴った。木村さんの携帯電話からだった。

「あ、もしかして仕事のメールじゃないですか? 帰ろうとしたところなのに、残念ですね」
「いやいや安心しろ。これ、メールの音じゃないから」

なぜか少し照れ臭そうにしながら、木村さんは携帯電話の画面を開く。

「実は娘に勧められて始めたアプリがあってな。その通知音」
「アプリ? 娘さんって確か高校生でしたよね」
「最近、女子高生の間で流行ってんだってさ。知ってるか?」

通路を行きながら、木村さんがアプリを開いて見せてくれた。
殺風景な背景の中に、なんの動物をモチーフにしたとも言えない不思議なキャラクターが一匹ぽつりと浮いている。
その絵面に、少々引っかかるものがあった。なんとなく見覚えがあったのだ。

「これってわたし、知ってますよ。多分、むかしやってたような気がする」
「そうそう、古いアプリみたいでな。前に一度流行ってからすっかり廃れてたんだけど、どこから火が付いたのか、今またブーム到来中なんだとよ。女子高生の考えることってわかんないよな」
「じゃあたぶん、その前に流行っていたってときにやってたんですね、わたし」

アプリの名前は確か……『フタリゴト』。内容はいたってシンプルで、且つ面白味のないものだったはずだ。