ぎゅっ、ぎゅっ、

雪が、梨田の足元でつぶされていく。
車通りが多いのに、その音はなぜか痛いほどにはっきり聞こえた。

少し先の信号が赤になったらしく、車の通りがやんだ。
薄暗くなった歩道では、獣道と雪藪の境さえ曖昧になってしまう。
ただ雪だけが、内側から光でも放っているかのように明るかった。

「カズキも、東京に行くよね?」

立ち止まった梨田が、雪明かりの中で潤んだような目を向けていた。

「ここからなら関東奨励会だろ?だったら、東京に行くよね?」

「東京に行く」その言葉に痛みを覚えたせいで、梨田が使った「カズキ『も』」という言い方に、気づけなかった。

「東京には、行かない」

踏まれた雪に話しかけるようにつぶやいた。

「じゃあ、奨励会にはここから通うの?」


実は梨田に将棋で勝った直後、香月は女子から距離を持たれていた。
仲間意識、嫉妬、いろんな感情が混ざり合った結果だろう。
「いじめ」というほどでもない。
しかし桃の産毛ほどに小さな棘は、確実に香月を消耗させていた。

ほどなくクラス替えがあり、香月も別の友達ができて、ひとりでいるようなことはなくなったが、学校で将棋の話はしなくなった。

それでも将棋はやめなかった。
ここから奨励会に通って、いつかプロになる。
将棋への情熱と努力さえあれば、それは叶うのだと思っていた。

けれど、それがとてつもなく母に負担をかけることなのだと、正月に親戚と交わされた会話で知ってしまったのだ。


「奨励会には行かない。プロになるのは、諦める」

「・・・・・・なんで?」

梨田の声は震えていた。
それが寒さのせいでないこともわかった。

「なんで?カズキ、なんで?」

将棋を好きな自分を梨田は受け入れてくれた。

それがどれほど嬉しく、梨田との時間が心踊るものであったか、梨田自身は知らないだろう。

生来、自己主張するよりは耐えることが多かった香月は、この時も胸の内を洗いざらい話すことができなかった。

「お母さんに、言いにくくて」

「カズキのお母さんってそんなに怖いの?」

「そんなことないけど」

「じゃあ、将棋より勉強しなさいって言う人?」

「そういうことでもないんだけど」

煮え切らない香月の態度に、梨田は焦れてしまったらしい。
それは怒りを含んだ強い口調だった。

「カズキ、家出しよう」