「乾。頼むから、俺を殴ってくれ」



俺の言葉が完全に言い終わるより先に、ゴン、と頭をにぶい衝撃が走った。

声にならない声を上げながら、思わずその箇所を両手で押さえてしゃがみ込む。

目の前で英和辞典片手に仁王立ちする乾が、きょとんと首をかしげた。



「え、なに、なんで?」

「理由訊く気あんなら、せめて実行する前にしろよな……」



恨めしげにそう言って、俺はよろよろ立ち上がる。

そうして窓枠に背を預け、深く、ため息を吐いた。



「いやまあ、理由は言えないんだけど」

「んだよそれ、俺の殴り損だろー」

「今の一連の流れで、おまえはどこで損したんだよ」



ざわざわと騒がしい休み時間の教室で、特に俺らの会話に耳をそばだてるような人なんていない。

そんな空間で俺は、昨日花音ちゃんの家の前で別れる間際、彼女が見せたどこか切ない笑顔を思い出していた。



「………」



昨日、彼女に触れた。

俺たちは、“本当の恋人”ではないのに。それなのに俺は、彼女に深く触れたのだ。

……まどかのことにも、きっと聡い彼女は、気づいてしまったと思う。

そして間違いなく、傷つけたんだ。