―――パシャン、と水が飛んだ。
目の前には、顔を真っ赤にして泣き出しそうな表情をしている女の子。
彼女の手には……空になったコップ。


シンと静まり返る学食の中央で、わたしは顔にかけられた水を片手で拭う。
いきなりわたしの元まで来たかと思えば、何を言うわけでもなくコップの水をかけられた。


「ヨウを返してよ!」


全身から絞り出したみたいな大きい声。
叫ぶと同時に、彼女の目から涙がこぼれてメイクが崩れ始める。
席はほぼ埋まっているのに、彼女以外誰も言葉を発そうとしない状況下で。


わたしは「ヨウ」を思い出そうとしていた。


単刀直入に言うと、わたしは「ヨウ」が誰なのかさっぱりわからない。
メイクが崩れる事が気にならないくらい泣くほど、彼女が大切に思っている「ヨウ」を返してあげたいとは思うけど……「ヨウ」って誰。


何も答えないわたしに苛立ったのか、目の前の彼女はわたしが学食で買ったうどんを両手に持ってそれをかけようとしてきた。


「……やめろよナナコ!」


後ろから聞こえた大声に、彼女の手がぴたりと止まる。パッと振り返った彼女―――ナナコは、「ヨウ!」と半泣きの声をあげる。


わたしの思い出せなかった「ヨウ」が誰なのかを見てみたわたしは、すぐに納得した。
彼は先週、校門でわたしに告白してきた現彼氏だ。
陽平(ようへい)って名前の愛称で呼ばれても、わかるわけがない。



「ナナコ……別れ話したろ? なんで沙麗(さり)ちゃんに水かけんだよ、やめろよ」

「やめろって何!? あたしはいいよって言った覚えないし! 勝手に別れた事にしないでよ!!」

「悪いけど、オレ今、沙麗ちゃんと―――」

「いいよ。返してあげる」



突然始まってしまった痴話喧嘩。
面倒になったわたしの言葉に、ふたりは声を揃えて「えっ」と目を丸くする。


その後、「ほんとに!?」って嬉しそうな声をあげてうどんを戻したのがナナコ、「待ってよ沙麗ちゃん……っ」って焦ったようにわたしの横に座り込んだのが陽平。


席を立ったわたしは、顔にかかった髪を避けながらナナコのほうを見て「それ、片しといてね」ってうどんを指差す。
もう陽平を返してもらえて嬉しくてしょうがないのか、ナナコは何の疑問も持たずに「うん! 水かけてごめんね!」と元気よく答える。



「沙麗ちゃんっ、オレまだいいって言ってな……」

「それ、ナナコちゃんも同じ事言ってたよね? 自分で理不尽に感じんなら、やらないで」

「っ……」