「今ねぇ、好きな人がいるの」


あづ は、ジャングルジムから飛び降りると、唐突に言った。


「どんな人?」


寝静まった住宅街を、あづ は真っ直ぐ歩く。どこへ向っているのだろう。


「肩幅の大きい人。シルエットが銭形警部みたいなの」

「あんなコート着てるの? マンガみたいな」

頭の中に思い浮かぶのは、下まつげバシバシで顎の割れたおじさん。


「違うよー、あくまでシルエット」


夜のせいで一層大きくなった目が、うっとり空を見ている。何だか女子高生みたいな会話だ。でてくるキャラクターは古いけど。


「うまくいきそうなの?」

「どうかなぁ。こんなの久しぶりだから、どうやって始めるんだっけってわかんなくって」

「そりゃ、好きですって言うところからでしょ」


そんなこと言うのも照れくさくて、眼前を歩く あづ から目をそらした。ここらへんの家は、みんな生垣を綺麗にしてある。満開のツツジが、夜に色を奪われていた。


てくてくと歩きながら、あづ は、ジッと自分の丸めた指先を見ていた。爪のささくれを見ているのだ。考え事をしているときに見せる、高校時代からの彼女の癖だった。


「真理ちゃん、旦那様に言った?」


目をそらしたまま記憶を辿る。


「……わかんない」

「じゃ、言われた?」

「スキデスって? わすれちゃった」

「ほらねー。始めなんて誰も覚えてないのよね。一番大事なとこなのに」


覚えていないわけじゃない。


とは言えずに笑う。誰もそれを教えてくれないのは、初々し過ぎて恥ずかしいからだよ、あづ。


「……大石とか見てたら、なにが正しい攻め方なのかわかんなくなる」

「まぁ、あれを見たらねぇ」

「今ごろまた泣いてるのかね、あの男は」


カウンターに突っ伏している大石くんを想像して、少しだけ同情してあげた。次はいいかげんに相思相愛の人を見つけて下さい。


「あ、あづ、あの店のお会計は」

「あー、払ってきたから大丈夫。じゃなきゃオミヤゲなんてくれないよ」

「わたしの分も? 払わせてよ」

「いらない。ねぇ真理ちゃん、おなかすかない?」


足を止めずに あづ が振り向く。