清河八郎を芹沢に悟られずに逃がすという作戦は成功し、重荷を一つ下ろしたかと思えば、隊内には一難去ってまた一難、不穏な空気が流れていた。

 芹沢率いる水戸一派と勇率いる試衛館一派とは別に、どこの派閥にも属していない殿内義雄が威張り始めていたのだ。
特に勇達の出自に目をつけて、何かにつけて百姓百姓と罵ってくる。

「何故私のような男が、近藤などという芋侍と対等に見られるのだ。
浪士組の大将になるのは、この俺以外相応しくなかろう」

 江戸の昌平坂学問所(しょうへいざかがくもんしょ)で勉学に励み、屈強剛健な体格は剣術にも優れていたが、殿内の生まれも上総国武射郡森村の名主の家に生まれ、武士ではない。

しかし浪士組発足の際にも、はじめは役職についていたのだが、上洛する直前に役職を外されたのだ。

 もともと素行の悪い男だったが、清河の後ろ盾が無くなってからそれに拍車がかかった。
よもや京に残留したのも、佐々木只三郎に直に頼まれ、家里次郎と共に浪士組の見張りをする為である。
幕臣の只三郎から頼まれたとなれば、尚更のこと浪士組を引っ張っていくのは自分だという自負がある。

そんな殿内義雄は一人の男を連れて言った。

「諸君いいかね。
これからは尽忠報国の心をもって、真っ当に浪士組の隊務に取り組んでいって頂きたい」

なにを偉そうに、と芹沢は眉間に皺を寄せながら三百匁の大鉄扇で肩を叩きながら悪態をついた。
芹沢の言う通り、殿内の言動はいちいち癪に触る。

「このお方は佐伯又三郎(さえき またさぶろう)という者で、京坂にて浪人をしていた男だ。
京坂の地理にも詳しく、何かと役に立つだろうと思い浪士組に身を置かせる事に決めた」

たしかに浪士は多いに越したことはない。
佐伯又三郎は頭を下げて挨拶をした。

「佐伯又三郎。
よろしゅうおねがいしまっせ」

佐伯は剽軽な男であった。
肌の色が白く、大阪弁で口数の多いとても武士には見えない町人のような身形をしており、左眉の上には小さな刀傷のようなものがあった。

なんとなく胡散臭い匂いを歳三は感じ取った。

勇は歓迎だ、と佐伯の手を取った。
なによりも今は同志がほしかった。
斎藤一を勝手に入隊させたという事もあり、断る道理もない。
芹沢は我関せずという感じでもみあげを弄っていた。