明日、海を見に行くからね

「するか? 逃亡」

「…………いやですよ」

「それは残念」

「本気でもないくせに」


フッ、と彼が笑う気配がしたけれど、問いかけても何の返事もない。こうなると彼は喋らないので、大人しく後部座席のシートに凭れてぼんやり車窓を眺める怠惰な乗客役に徹する。


彼が今日こんな無茶を思いついた理由は考えなくても分かっていた。そして、今日行動を起こしてくれたことに少しホッとしている自分がいた。


「……逃亡したいよ、できるもんならさあ」


何分かして運転席から小さな本音が聞こえてきたけれど、それは聞こえないフリをする。


「お前さ、休暇いつまで」

「今月中です」

「……10日以上もか、大層なご身分だな」


この休みは何ヶ月も前から根回しをして、そして山積みの仕事をどうにか片付けて作ったものだった。


「……わかってると思いますけど、それでも今日だけですからね」

「……わーってるよ、うるさいな」


信号待ちで彼の貧乏ゆすりが始まって、車内が規則正しく揺れる。


運転中に気性が荒くなる男はいただけない、と何度言ったところでそれが彼の癖だった。


5年も付き合えば、嫌なところだって何個もお互いに乗り越えてきた歴史があるものだ。