部屋に戻るなり、テーブルの上にスケッチ帳を開いた。
そしてその辺にあった鉛筆で、
財布⇒数日後
手帳⇒約1か月後
ぬいぐるみ⇒数時間後
旧千円札⇒10年以上後?
と書いた。
冷静を心がけたけれど、文字は、明らかに動揺をあらわしていた。
わたしは書いたものを見据えて、頭を悩ませた。
千円札に限っては、落としたタイミングの確定はできてないけれど、今日でないことだけは確かだ。
”10年以上後?” の上に二重線を引いて、”1日~10年以上後” と訂正した。
数日前、たまたま、旧千円札を財布に入れていた人が落とした・・・という可能性だってゼロではないだろう。
だけど、心のどこかでは、ピンときていたのだった。
・・・・あれは、10年以上前に、修学旅行中の小学生の男の子が落としたものなのだろう、と。
なぜかは分からない。
けれど・・・直感、とでも言えばいいのだろうか。
なんとなく、けれど確信に近いものを持っていた。
証拠なんてないけれど、拾ったときのあのぬくもりが、そう思わせる理由のひとつだったのは明らかだ。
・・・・でも、その正否を確かめる術はない。
だって千円札に名前が書かれているわけでもないし、今さら落とし主を探すことなんてできないから。
わたしはポケットに入れっぱなしにしていた千円札をスケッチ帳の上で開いた。
これを落としたのは、母が話してた小学生なのだろうか・・・・?
修学旅行中、最後のお札を落としたと言って泣き出した男の子。
・・・・だとしたら、これは、今、10年以上の時間を飛び越えて、わたしの手元にあるのだろうか?
わたしは、今、常識では起こり得ないことを目の当たりにしているの?
自分の仮説に確信を持ったり、疑ったり、頭と心が忙しない。
わたしはどうにかして落ち着こうと、鉛筆を握った。
そしてスケッチ帳を捲り、とりとめなくイラストを描き始めた。
シュッ、シュッ、と鉛筆が走る音が、静かにわたしを宥めてくれるようだった。
描いている時間は、心が静謐でいられる。
描くのは大好きだから。
・・・・描き上がったものを見て、自分の力がまだまだだなと思ってしまうことはあるけれど・・・・
絵を仕事にするためには、ただ上手いだけではダメなのだ。
それを見た人に ”何か” を感じてもらえなければ、
何らかの影響を与えなければ、ただの ”絵が上手い人” でしかないのだから。
・・・・わたしの絵にそんな力があるとは思えない・・・
わたしは手を動かしながらも、穏やかに、気落ちしていきそうになるのを止められなかった。
けれどしばらくして、そこに姿を現したものに気付いたとき、わたしは、慌ててスケッチ帳を閉じてしまったのだった。
「これって・・・・」
わたしが無意識のうちに描いていたものは、
神楽さんが乗っていた車だったから・・・・・