まったくの予想外ながら、東京で会った神楽さんとは、その後もメールや電話で続いていた。
てっきり、それっきりになると思っていたのに、なんだかんだと話題が絶えず、それどころかメールの文面も砕けたものになっていったのだった。
内容は、昨日観たテレビの話だったり、今日あった出来事、他愛もないものがほとんどだったけど、ときどき、
――――――今日は何か描いた?
まるで小学生に夏休みの宿題を確認するように、神楽さんが尋ねるのだ。
あの日、わたしの絵が見たいと言ったのは、単なる社交辞令でもなかったらしい。
けれどわたしは、神楽さんに訊かれるまでもなく、奈良に戻ってからスケッチを再開していた。
再就職の準備すらしていないというのに、あの日神楽さんと会って以来、なぜだか無性に、また描きたくなっていたのだ。
近所の文具店でらくがき帳みたいなものを何冊か購入して、気が向くままに描いてみた。
部屋にあった時計、店から見える街並み、記憶の中にあるどこかの風景・・・・
意識とはまったく別のところで、パッと頭に浮かんだことを描いていたのだが、ふと気付くと、神楽さんの車のエンブレムを描いていたりもしていた。
それは単純な形だけど、あの日の空気感というか、まだ名残がそこにあるように感じられて、わたしは何度もそれを描いていた。
先輩との一件を神楽さんに打ち明けることができて、思った以上に心が軽くなっている自分に、わたしは気が付いていたのだ。
そして、
『未来への入口は、今日なんだから』
その言葉が、やけに耳に残っていたのだった。
だからというわけではないけれど、「再就職なんか急がなくていいから店番手伝って」と言ってくれる母に甘えて、わたしは店番しながらスケッチを増やしていく毎日を過ごしていた。