そんなに間をおかずに、神楽さんはカフェオレとミルクティーを持って戻ってきた。

「どちらか1つでよかったのに・・・・」

「俺は芦原さんが選ばなかった方をもらいますから」

そう言ってわたしに2本を差し出す神楽さんは、なぜかとても楽しそうだ。


「じゃあ、ミルクティーを・・・」

わたしは右側のペットボトルを受け取った。

「ありがとうございます。いただきます」

一口飲んで隣を見ると、神楽さんはカフェオレを開けないまま、両手で弄んでいた。

まだ車を走らせる気配はないみたいで、ちょっと考えるように視線を投げたと思ったら、
「昔ね・・・」と話し出した。


「ずいぶん昔なんですけど、俺が進路で悩んでたとき、ある人からの言葉に背中を押してもらったことがあるんです」

右に、左にと、ぽんぽんと手の中で軽く投げていたカフェオレを、神楽さんはピタリととめて、足の上に乗せた。



「――――――大丈夫。どんな道を選んでも、そこに未来があるんだから。未来への入口は、今日なんだから――――――――――」



未来への入口は、今日なんだから・・・・・



「ま、その言葉をもらったときは、『そんなの誰にでも言える綺麗ごとだよな』て思ってたんですけどね。でも実際に岐路に立ったとき、その言葉が一歩を踏み出す支えになったんです。今日から・・・未来がはじまるんだ、ってね」

神楽さんは懐かしむような、思い出し笑いのような、穏やかな顔色を浮かべて、わたしの目を見てくる。

「だから、もし、芦原さんが絵の勉強を続けたとしても、逆にまったく別の仕事を選んだとしても、そこに、必ず芦原さんの未来があるんです。どっちを選んでも正解。今日は、その未来の入口かもしれない。今日、あの先輩と出会ったことが、未来へのきっかけになるかもしれない。俺にいろいろ話してくれたことが、未来に通じているのかもしれない。きっと、全部が、未来への入口になりうるんだと思います。今の芦原さんみたいに、途中で躓いたり立ち止まったとしても、そこにまた未来への入口があるのかもしれない。人それぞれ事情もあるし、臆する気持ちも分かるけど、未来をつくるのは、今日の自分ですから。
でも・・・・・」

神楽さんは一旦言葉を切り、わたしと目を合わせた。
そして

「でも俺は、またいつか、芦原さんの描いた絵を見てみたいなと思いますけどね」

言い終わると、ニコッと、それは優しく、優しく笑った。
触れてしまえば、わたしごと全部をあたためてくれそうな優しい笑顔に、ドキリとしてしまう。


そんな純粋にわたしの描いた絵を見たいなんて、久しぶりに言われたセリフだった。
学生時代は周りはライバルばかりだったし、事務所に勤めだしてからは、それは単に仕事のツールだったから。


「・・・・そうですね、いつか、機会があれば・・・・」


そんな機会、あるはずはないのだろうけど。
だけど、純粋に向けられた言葉に無粋な返しは避けたかった。

すると神楽さんは、

「楽しみにしてますね」

本当に楽しみな風にそう言って、ゆるやかに車を発進させたのだった。


楽しみにしてますね・・・・・


社交辞令でも、嬉しかった。


胸の奥がほんのりと癒されるような感覚に、わたしは、今日神楽さんに会えてよかったなと思っていた。

会いたくなかった人には会ってしまったけれど、それよりも、神楽さんに会えてよかった・・・・・


高速と違い、東京の街が否応なしに飛び込んでくる視界から逃げた先には、神楽さんが握るステアリング。
その中に車のエンブレムを見つけて、わたしは、さっき待ち合わせした場所にあったモニュメントと似てるな・・・・なんて、そんな、どうでもいいことを考えていた。