宵の朔に-主さまの気まぐれ-

始めようかと言ったものの、染色はさすがに特別な技術が要ることもあって、輝夜に出番はありそうになかった。

泉が色で汚れないように、手前で分岐している小川で染色を始めた柚葉を見守っていた輝夜は、考えていた。

今後の自分たちの在り方を。

兄はやっと身を固める決心をして伴侶にも恵まれたが、果たして自分に同じような幸せな道を歩むことができるのだろうか、と。

酸いも甘いも噛み分けて生きてきて、万人に心を開いているようで実の所は誰にも心を開くことのなかった――いや、開けなかった自分が今やようやく特別に愛しいと思える者を得たというのに、この距離感――


「鬼灯様ー、前方から真っ黒い雷雲が来るにゃー。大雨が降るにゃー」


木の天辺に居た猫又から知らせを受けたが柚葉は集中して染色をしていて、ごろごろと雷の鳴る音が近付いてきたため、輝夜は柚葉の腕を取った。


「お嬢さん、天気が良くありません。すぐ発たないと…」


「無理です。すごく良い発色しそうだし…私は大丈夫ですから鬼灯様だけ先に戻っていて下さい」


「そんなことができるはずないでしょう?反物は後で取りに来ましょう」


首を振って嫌がる柚葉にどうしたものかと腕を組んでいると――すぐ近くの木に雷が落ちて轟音を響かせて火が噴き出た。

耳をつんざくような轟音に柚葉が身を竦ませると、輝夜はすかさず柚葉を抱き上げてその場から離れて駆け出した。


「反物が!」


「今は避難するべきです。確か以前兄さんが近くに小さな洞窟があると言っていたような気が…」


「あっちにゃ」


猫又が木の上から尻尾を振って教えてくれたのと同時に滝のような雨が降り注いできた。

あっという間にずぶ濡れになった輝夜は、頻発する落雷と大雨に舌打ちをしながらなるべく早く駆けて、小さな洞窟を見つけた。


中へ入ると奥の方は真っ暗で、少し念じて鬼火をいくつか呼び出すと、青白い炎が柚葉の不安そうな顔を照らし出した。


「寒い…」


人より頑丈ではあるが、無敵ではない。

くしゃみをした柚葉を抱き上げたまま奥の方へ進むと、地面が短い草に覆われていて身体を休めそうな場所を見つけた。


「ここで少し休んでいきましょう」


無意識に柚葉を離さないまま、腰を下ろした。