宵の朔に-主さまの気まぐれ-

妖はそれぞれお気に入りの隠れ家のような場所を持っていることが多い。

朔が時々立ち寄っているという泉の存在は知ってはいたものの行ったことがなかったが――今はそれどころではなかった。


「わあー、風が気持ちいい!ねっ、鬼灯様!」


「あまり動くと落ちますからじっとしていて下さいね」


仕方ない、と観念して柚葉の腰をぐっと強く抱いた時、柚葉が少し緊張したように身を固くした。

意識されていると思うとまたもや雑念に捉われそうになって猫又の大きな鼻に装着している手綱で合図を送ると速度が上がり、予想よりも速く泉の近辺に着いた輝夜は、辺りを見回して気配を探ると無人なのを確認して轡を解いてやった。


「お前は荷を下ろしたらその辺で遊んでいていいですからね」


「はいにゃー」


上空からは鬱蒼とした森に見えたが下りてみると意外と木漏れ日も多く、しかも泉に通じる小川の清水が木漏れ日に反射してきらきらと輝いていた。


「これは染色のし甲斐がありそう…!」


職人の血が騒ぐのか目を輝かせた柚葉の前を一応何か起こった時のために歩いていた輝夜は、眼前に開けた場所を見て大きな泉の前で足を止めた。


「きれいな泉ですねえ。お嬢さん、ちょっと涼みませんか?」


「そうですね、じゃあ足だけ」


初秋といってもまだ暑く、汗をかいていた柚葉は額を拭いながら泉の傍でおもむろに薄桃色の着物の裾を太腿までまくり上げて輝夜の目を丸くさせた。


「鬼灯様?」


「なんでもありません。なんでもありませんよ」


まるで自分に言い聞かせるように呟いた輝夜は、同じように濃緑の着物の裾を膝までまくって泉に足を浸した。


「冷たいっ。気持ちいいっ」


「ここで逢引きをしていたんでしょうね、あのふたりは。私もどこか見つけようかな」


「私、こんな場所がいいです。お願いしますね」


――こうやって一緒に通うことを前提にしたような口ぶりの柚葉をじっと見つめた輝夜は、そういえば自分たちは付き合っているのだと改めて思ってあまりの進展のなさに密かに息をついた。


触れたい。

その欲求は多分にあるのに、どこかで理性が歯止めをかけている。

自分はもう以前の自分ではなく、順応するまで時間がかかってまだ戸惑って――

戸惑っているうちによからぬ変化が起こるかもしれない――


「最近鬼灯様静かですね。悩みなら聞きますよ」


「そう…ですか?」


あなたのせいなんですけど。

そう言いたいのを堪えて微笑んだ輝夜は、葛籠をぽんと叩いて泉から足を出した。


「さあ、始めましょうか」