宵の朔に-主さまの気まぐれ-

黄泉の術によって腐らずに保存されていた目――

これを再び凶姫の閉じられた瞼の下に戻すことは可能なのか?


「お前の取引を呑んだ場合、芙蓉の目を再び見えるようにしてもらえるんだろうな?」


「業腹だがやむを得ん。その前に冥をこちらに戻せ」


「‟渡り”は裏切りの生き物。兄さん、気を付けて下さい」


それまで事態を静観していた輝夜は、そこだけは朔に注意を促して油断なく黄泉の背後に回っていた。

刀はいつでも抜けるように手を添えたまま。


「主…」


「こんな国もう二度と来ることはない。それだけは約束してやる。冥をこちらへ」


「主さまどうする?」


冥が妙な動きをしないようにずっと警戒を続けていた雪男が呼びかけると、朔は躊躇なく頷いて黙ったままの凶姫の肩を抱いた。


「芙蓉、いいな?」


「…私はまたあの男に触れられなければいけないの?」


「一瞬だけだ。一瞬我慢してくれればお前はまた目が見えるようになる。いやなのか?」


「…いやなわけないじゃない。朔…目が見えるようになったら…」


「ん、分かってる。見えるようになったら一番最初に見えるのは俺の姿だ。‟渡り”…黄泉じゃない」


こくんと頷いたのを合図に朔が雪男に目配せをすると、雪男は両腕を失って身体の均衡が崩れて思うように歩けない冥の背中を押しながら黄泉の元へと向かう。


ざわざわ。


その場に居る者全員が、何か妙な胸騒ぎを覚えていた。

柚葉は輝夜の傍に立ちながら、冥が近付いてくるのをじっと見ていた。


距離が詰まるほどに、無表情に見えた冥の唇が目元が――緩んでいるように見えた。


「黄泉…さん、冥さんを大切にして下さいね」


「詮索するなと言ったはずだぞ、この世話焼きが」


軽薄な笑みを浮かべながら、近付いて来るかつて愛した女の顔を眺めていた。


これは、最高傑作であり、最高の贋作。


痛む胸の傷を押さえながら、手元に戻って来るのを待っていた。