宵の朔に-主さまの気まぐれ-

両腕を失くしてしまえばもう身動きが取れないも同じ。

だが次元の穴を繋いで主の元まで――そこまでは、役に立てる。

あの人に作られたのだから理由もなく愛するのは当然のことだけれど、だからといってその愛に応えてくれるわけではない。

…また両腕を失くして…ちゃんと元通りにしてくれるだろうか?

凶姫を手にしたあの人は、自分に省みることなくあの女に夢中になるのではないだろうか?


だが――やらなければ。


「きゃあ…っ!?」


突然足元に現れた真っ黒な穴に身体がずぶずぶと沈んでゆく。

凶姫は恐慌状態に陥り、はっとした雪男たちはその穴が次元の穴であり、どこかの異空間に繋がっていること…いやつまり、あの‟渡り”に繋がっていることを察すると、凶姫の手を掴もうとした。


だがその沈む速さ――朔たちの方に気を取られていた雪男の伸ばした手は間に合わなかった。


だが――


「姫様!!」


ずっとずっと凶姫を注視していた柚葉だけは凶姫の身体にしがみ付き、共にその次元の穴へと沈んでゆく。

高笑いを上げた黄泉へ目を向けた輝夜は、次にその傍に現れた次元の穴から現れた凶姫と柚葉を見ると、珍しく舌打ちをして叫んだ。


「兄さん!」


「!?芙蓉……柚葉!?」


「よそ見をしていいのか?」


「!」


思い切り掌底を左胸に受けた朔は血を吐いて数歩よろめいたが、ぎらつく目はひたと黄泉に向けられていた。


「貴様…!」


「冥、よくやったな。俺は最初からこの女が目的だった。真名は芙蓉と言うのか…相変わらず美しいなお前は。今から俺が飽きるまで可愛がってやるからな」


「…っ!我が真名を呼ぶな汚らわしい…!」


黄泉に腕を掴まれた凶姫は恐怖のあまり動けず震え上がり、また間近で黄泉の禍々しい気をあてられた柚葉もがくがくと足が震えていた。


「なんという強気な女よ。この敷地内からは逃げられんが、つまりこの中であれば俺の力は及ぶということ。冥、一時撤退する…ぞ……冥!?」


共に移動してきたはずの冥は誰にもまだ事情が呑み込めず動けない中――次元の穴を通って黄泉の元へ辿り着く前に輝夜によって捕縛され、後ろ手を封じられて首元に刀をあてられていた。


「その方たちを返しなさい」


その声色――

全員が寒気を覚えて、輝夜を見た。