宵の朔に-主さまの気まぐれ-

「なんと逃げ足の速い…」


次元の穴を使って冥を追い続けていた黄泉だったが、傀儡の冥とは違って黄泉は魔力が尽きると動けなくなる。

同時に体力も消耗するため、完璧主義のため冥を精巧に作ったことに歯噛みしていた。


「まさか俺を裏切るとは。冥め、絶対に逃がさんぞ」


後を追って辿り着いた場所にはっとした黄泉は、直後全身を雷に撃たれたような痛みに襲われて膝を折った。

ここは…凶姫が居る屋敷の庭だ。

あの男はもう死んでここにはか弱いあの女しか居ない――いや、あの男が居るはずだ。

腰まで届く長い髪を束ねて前髪で右目を隠していた男か女か分からないような容貌の…


「凶姫…」


冥を追わなくてはいけないが、今ここでついでに凶姫を攫って行くのもいい。

ただ、一歩足を動かすだけで例えようのない痛みが全身を襲うが…傷はいずれ癒える。

それよりも今目の前にある好機を逃す手はない。


「どこだ?」


気を探っているうちに、何か妙なものに気付いた。

屋敷を覆っている結界はもちろんだが、またそれとは別の何か違うものの気配がある。

それも、いくつもある。


「なんだこれは」


傀儡師としての勘が働き、そこから一歩も動かず意識を集中して屋敷を探っているうちに、頬を何かが掠めていった。

手で触れてみるとそれは頬から溢れた血で、目を開けるとあの時この場所から敗走しなければならなかった原因の男が佇んでいた。

あの時と同じ、やわらかい表情で。


「また来たんですか。お前は私の大切な人を殺した。だから私は、お前を殺します」


「く…っ。あの女を渡せばこんな小国に興味はない。渡せ」


「ふふっ、まさかそんな世迷言を私が聞くとでも?お前もあの可愛らしい傀儡も私が壊してあげましょう」


――今戦うのは得策ではなく、今だ直感が働き続けていた黄泉はまた意識を集中させてよく整備された地面に爪を突き立てて潜り込ませると、傀儡師ならではの‟あるもの”に気付いた。


「ああ…なんと嘆かわしいことよ」


「…なんですか?」


「お前は気付かないのか。そうか…ならばいい。次はお前を殺し、あの女を奪いに来る。首を洗って待っていろ」


高笑いを残して黄泉が消えると、‟輝夜だったもの”が煙のようにふっと消えて縁側に置いていた蜃の口が閉じた。