宵の朔に-主さまの気まぐれ-

主と寸分違わぬ能力を与えられた完璧な傀儡――冥は、次元の穴を使って幽玄町の凶姫が匿われている屋敷にたどり着いた。


当然結界が働き、その身に多数の目を背けるような裂傷が全身を切り刻んだが、痛みはない。

業火にも焼かれて火傷を負ったが、痛みはない。


きょろりと辺りを見回した冥は、全身を包んでいた漆黒の外套が見るも無残に焼け落ちて全裸にも近い身体を見下ろして、そして無機質な目を上げて縁側に座っている女に焦点を定めた。


「あの女…」


うなだれて座っているその女――凶姫の姿を見た途端殺意が芽生えて指をわななかせながら近付こうとしたその時――部屋の奥の方からひとりの男がゆっくり姿を現した。


「あの男…」


妖の頂点に立つ男――朔に止めを刺そうとした時、どこからともなく現れたあの男だ。

主のように‟渡り”と呼ばれる種族でもなければ妖にも見えず、何者か分からない得体の知れない美貌の男だった。

その男のせいで主は止めを刺すことができず敗走したが、今度はこの男があの女を守っているというのか?


「男に媚を売ることしかできないのね。可哀そうな女…」


ひとりごちると、その男は笑みを湛えたままゆっくりこちらに歩いてきたため、冥はうなだれて顔を上げない凶姫に一瞥をくれると、後退りをしてその男から距離を取った。


「性懲りもない…。あの人を殺しただけでは満足できないのですね。不肖ながらこの私があの人の意思を受け継いでこの人を守ります。さあ、おいでなさい」


…勝てる気が全くしない。

表情と口調は恐ろしくやわらかいのに、確実に殺されてしまうという予知にも近い直感が働いて、またその場を逃げ出した。


――あの女…守ってくれていた妖の主を失って悲しみに暮れているように見えた。

ああいう女は男に媚びて生きてゆくことしかできない。

次はあの得体の知れない男に媚びを売って、身体を売って、守ってもらうのだろう。


「…私と同じね」


既視感を覚えた冥は、珍しく笑みを刷くと、また身体に傷を負いながらも次は黄泉から逃げるために、また果てしない逃走を図った。