宵の朔に-主さまの気まぐれ-

冥は逃げ続けていた。

追ってくる主――黄泉の激怒は凄まじく、この傀儡の身体は破壊されて捨てられてしまうのではという恐怖を抱きながらも逃げ続けることしかできないでいた。

冷静沈着に見えるが暴力的で粗野な男の黄泉から今まで手をあげられたことはなかったが、今回はその可能性がある。


何せ――その主がはじめて執着する女を殺そうとしたのだから。


はじめて出会った時は黄泉に凌辱されて貶められて、可哀そうな女だと思った。

さらに目を奪われてもう生きる価値もないと思わせるほどの屈辱と絶望感を与えられて、あの時はじめて自分は…謝ったのだ。

本当に可哀そうにと思って出た言葉だったのに、今は…


「…殺したい」


黄泉は自分が失った右手をあの女――凶姫の腕を使って補おうとしているのか?

いやむしろ…あの女そのものを傀儡にして傍に置いて愛でるかもしれない。

そうなれば自分はお払い箱――

何をどう想像しても絶望的な想像しかできなくて、冥は逃げ続けることしかできない。


次元の間を彷徨い逃げ続けていたが、黄泉はしつこく追ってきてしつこくも優しく声をかけ続けてきていた。


「冥、俺は本当はさほど怒っていないんだ。だから戻って来い」


「…」


「冥、左腕はお前が持っているんだろう?ちゃんと付け直してやるから戻って来るんだ。…何故俺から逃げる!?」


姿は見えないが後方から聞こえる怒声にびくつきながらも冥は足を止めることができず、ただひたすら走り続ける。


「主…」


あの女が生きている限り、この心は癒されることなく蝕まれてゆく。

だから絶対に許さない。

あの恐ろしく美しくきれいな男は死に、あの女を守る男は居ないだろう。


「…見に行こう」


そしてできるならばその命を奪って――


平穏を、取り戻す。

主の心を。