お風呂場で、泡まみれになったポチくんが暴れて、伊織さんとわたしも同じように泡まみれになった。
 眉の落書きは水性ペンだったようで、すぐに落ちた。
 濡れた身体を拭いてあげたら、ポチくんは待ちきれないといった様子で庭に飛び出した。

 伊織さんとわたしもその後を追って、ポチくんが庭を駆け回る様子を、微笑ましく眺めた。


 それにしてもひどいことをする。ポチくんはカボチャじゃなくて犬なのに。

「しのぶさん、問題はそこじゃないです」

 鼻の頭に泡をつけた伊織さんが笑う。

「そうですか?」

「ええ。そういえば今日はハロウィンですからね。むしろあのオレンジカボチャの被り物は、ずばりの物でした。まあ、眉は関係ないと思いますが」

「じゃあ今夜はカボチャのお煮つけにしましょうか」

「いえ、それはハロウィンではなく冬至ですね」

 そんな伊織さんの鼻の泡をタオルで優しく拭ったら、伊織さんもわたしの頬を丁寧に拭ってくれた。

「でも、帰って来てくれた本当に良かったです。心配で心臓がどうにかなっちゃうかと、」

「しのぶさん」

「はい?」

「先ほどの話の続きなのですが」

 そう言って伊織さんは、優しい顔でわたしを見下ろす。

「先ほどの話とは?」

「万が一、いえ億が一ポチが帰って来なかったら責任を、という話です」

「あ、あれは……」

 困った。あのときは動揺していたし、なんというか凄く責任を感じていたし……。
 でも、ポチくんが無事に戻って来たとはいえ、門を開けっ放しにしていたのも、それを忘れてポチくんを放っておいたのもわたしだ。
 ちゃんとお詫びをしなくてはならない。ちゃんとお仕置きも受けなければならない。


「あの続きを、勝手に解釈して返事をしますが、良いですか?」

 ばくんと心臓が鳴る。

 伊織さんがどんなことを言っても、例えそれが大変なお仕置きでも、わたしはそれを甘んじて受けよう。
 口を真一文字に結んで、伊織さんを見据えた。


「しのぶさん、責任取って、僕と一緒に暮らしてください」

 瞬間、この季節にしては珍しい、柔らかい風が吹いた。
 ポチくんが飛ばした水滴が、風に舞ってきらきら光るのが、視界の隅に見えた。

「だめ、でしょうか?」


 ふ、と。頭の中に浮かんだのは、朝も昼も夜も。伊織さんが隣で微笑んでいる光景。
 休みの日にはふたりでポチくんの散歩に出て、またお風呂で泡まみれになったり、庭を駆ける様子を眺めたり。

 わたしは座敷で背中を丸めて小説を書く伊織さんを見つめながら、お茶を煎れる。ふたりでごはんを食べて、他愛のない話をして、笑う。

 そんな、何度も繰り返してきた日常、なんでもない日も、もっと身近になれば、きっと……。ふたりなら、きっと……。



「……しのぶさん?」

 伊織さんの不安そうな声が聞こえ、同じように不安そうな顔が見える。

「伊織さん、わたし、……」

 ポチくんがまたわんと吠え、勢い良く飛びついてきた。
 それを受け止めて、わたしは伊織さんに向かって微笑んだ。





(了)